緊縮財政は、占領政策の遺物

                 ――財務省の解体と内閣官房の再編成へ

 

                                  

 

 

要約

 

敗戦後に占領軍が実施したWGIP(戦争贖罪洗脳計画)については、すでに広く知られている。その一環として、占領軍は、武装解除の占領憲法を制定させ、我が国の大義名分を明らかにした多数の書物を禁書に指定し、東京裁判により事後法でいわゆる「戦争責任者」を一方的に有罪とした。

WGIPに加えて、見過ごされているが、もう一つ重要な占領政策があった。それは、占領軍が憲法と財政法によって財政政策に重大な制約を課したことである。日本に対米復讐戦を企図させないために、将来の財政拡大ができないよう縛りをかけたのである。これは、第一次大戦で敗北したドイツが財政拡大によって再軍備を成し遂げ復讐戦争を開始したことにかんがみ、我が国が再軍備のために財政拡大することがないよう、その忠実な実行者として大蔵省(財務省)を温存させ、法的な歯止めをかけようとしたのである。

本稿では、今日まで続く厳しい緊縮財政とそれから脱却するための処方箋ならびに財務省の組織改革について論じてみたい。このGHQ(連合国軍総司令部)が埋め込んだ財政制約を乗り越えない限り、いわゆる「戦後レジームからの脱却」は、まだ果たしていないといってよいだろう。

 

GHQの代理人

 

敗戦後の昭和二十二年末に、国民精神総動員を主導した内務省は廃止された。内務卿大久保利通以来、七十四年にわたって「官庁の中の官庁」と呼ばれ、警察、建設土木、衛生をはじめ地方行政を担ってきた内務省は解体されたのである。しかし、内務省に比肩する大蔵省だけは、GHQによる改編を免れることができた。なぜだろうか。

当初、GHQは我が国を軍事的にも精神的にも弱体化するため、直接統治を進めようとしていたが、それを厳しく批判したのが、重光葵外相であったことは広く知られている。  ポツダム宣言では、占領下においても日本政府の統治主権を認めるとしていたから、GHQが占領政策を実行しようとしても、直接統治することはできず、日本政府の機構を代理人として使わざるを得なかったのである。

内務省を解体した後、GHQの有能な代理人として選ばれたのが大蔵省であり、こうして、GHQによる間接統治の体制が完成することになる。その経緯を以下において、回顧してみることにしよう。

 

憲法に埋め込まれた制約

 

日本の降伏から一年三か月後の昭和二十一年十一月に、日本の「民主化」と非武装を主眼とする占領基本法としての憲法が制定された。国民は主権者とされ、天皇の地位は国民統合の「象徴」となり、自由と人権の確保が政府の目標とされた。憲法第九条において、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記された。

この第九条の定める非武装を担保するには、三つの政策が必要であった。一つは、日米安全保障条約によって米軍が日本を軍事的に庇護し、それを通じて、日本独自の再軍備の可能性を払拭することであった。二つ目に、再軍備の主張を行うような新聞、雑誌の検閲を行い、検閲に従わないものには発行停止の命令を下すのを躊躇しないことであった。そして、三つ目に、これが最も安価で効果的な政策だったが、政府の自由な国債発行による軍備の拡充に制限をかけることであった。

 

そこで、憲法第八十五条において「国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする」と強力な制限をかけたのである。戦前の大日本帝国憲法においては、「国債」を発行することは帝国議会の「協賛」を得る必要はなかったから、これと比べると非常に厳しい制約であった。

戦前(1937~1945)には、軍事財源の 七割強は、国債(戦時国債)に よって賄われ、この戦時国債の約 七 割は日銀の直接引受(残りは、市中売却)とい う方法で発行されていた。大蔵省理財局は、郵便局で国債を市中売却するに際して、「国債でせめて銃後の御奉公」という見出しで宣伝していたのであった。

終戦の年一九四五年に、軍事公債を含む長短期の政府債務残高の対GDP比は、一三〇パーセントに達した。そして、戦後は、外地から六百万人が引き揚げ、商品需要が膨張したのに対し、生産設備は徹底的に破壊されていたため、激しいデマンドプル・インフレを招くことととなった。一九四五年十月から一九四八年四月までの三年半の間に消費者物価指数は実に約百倍となったのである。

 

財政法に埋め込まれた制約

 

憲法制定の五か月後の昭和二十二年三月三十一日に財政法が制定され、憲法第八十五条を受ける形で次のように規定された。

「第四条 国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。ただし、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については国会の議決を経た金額の範囲内で公債を発行し又は借入金をなすことができる」

「第五条 公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。 但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない

 

この条文を起案した財務省主計局法規課長の平井平治は、その著書『財政法逐条解説』において、次のように述べている。

「第四条は、健全財政を堅持していくと同時に、財政を通じて戦争危険の防止を狙いとしている規定である」

「公債のないところに戦争はないと断言しうるのである。従って本条(第四条)はまた憲法の戦争放棄の規定を裏書き保証せんとするものであるともいい得る」

「第五条は、公債の発行方法について制限し、これから来るインフレーションを防止せんとした規定である」

 財政法第四条は、「憲法の戦争放棄の規定を裏書き、保証」しようとするものと言及しているところは、注目に値する。また、日銀引き受けによる公債の発行は、インフレを招くという前提で、第五条を制定したことも忘れてはならない。

 

なお、財政法の提案理由説明に立った野田卯一主計局長は、次のように詳細に国会で説明している。前記の『財政法逐条解説』にその発言が掲載されている。

「新憲法の制定に伴いまして、財政法を制定することとなったものである」

「一般の者の貯蓄によって公債を消化するという方法によれば、財政上は極めて健全でありましてインフレーションの危険は起こらない。ところが、日本銀行に引き受けさせると財政インフレを起こすことになる」

「今日のインフレーションの原因の一つは、この方法(公債発行)によって簡易にしかも不健全に巨額の資金を得たからでもある。しかし、デフレーション対策として、その日本銀行引き受けの方法を考慮しなければならないので、そういう場合は、国会の議決を経た金額の範囲名で日本銀行引き受けということも許されることとしたのである」

「公債による(歳出の)場合は、公債が債権として担保力を有し、信用の造出となって通貨と信用の膨張をきたし、ひいては物価高騰…インフレーションとなる要素をも包蔵しているわけである」

 

まとめていえば、当時の財政法起案者は、建設国債(公共事業費)以外は発行してはならず、日銀による赤字国債の引き受けは財政インフレを起こす要因になるから、認めてはならないと考えていたのである。

しかし、この原則には当初から無理があった。経済の復興が進むにつれ、教育投資やエネルギー投資、さらに社会保障の要望が増大し、建設国債の発行だけでは予算が組めなくなってきたのである。

こうして、一九六五年には、赤字国債の発行を一年限りで認める特例公債法が制定され、赤字国債が戦後初めて発行された。その後も予算上の収入が足りない場合は、特例公債法の制定と赤字国債の発行が恒常的に繰り返されることとなったのである。

 

 

「ハイパーインフレ」と「財政破綻」の悪夢

 

バブル経済の末期、一九八九年(平成元年)に消費税が導入され、その後の税率の引き上げに伴いデフレが進行し、国民の実質賃金が上昇しない事態が三十年近く続くことになった。財務省は、国債の大量発行によって財政が破綻するものと危惧し、デフレが継続しているにもかかわらず、消費税を最終的に十%に引き上げたのである。

 

その財務省の素朴な恐怖心理をあからさまに示しているのが、斉藤次郎元財務次官の発言である。彼は、古い世代の財務官僚を代表して、次のように述べている(文芸春秋二〇ニ三年五月号)。

「入省(一九五九年)して徹底して教え込まれたのは、財政規律の重要性でした。財政の黒字化は当たり前のことでなければならない。赤字国債は絶対に出すなと毎日のように先輩から言い聞かされました。なぜかと言えば、先の戦争での手痛い失敗がまざまざと記憶に残っていたからでした。戦時下の日本では、戦費調達のため軍事国債を大増発、身の丈に合わない軍備拡張を繰り返したあげく、敗戦国となりました。ハイパーインフレで、国債の価値は紙くず同然となり、日本の戦後は借金を踏み倒すことから始まったのです」

 

この発言にみるとおり、財政当局者が赤字国債の発行を嫌悪する理由は、敗戦後のハイパーインフレのトラウマによるものであった。しかし、これはアツモノに懲りてナマスを吹く杞憂と言わねばならない。

それは、終戦後に六百万人を超える日本人が外地から引き揚げ、生活用品等に対する需要が急激に増大したところに、爆撃により国内の工場が壊滅し供給量が急減していたことに起因するもので、現今のデフレ状況とは全く様相が違うものである。

 

一九八五年に入省した矢野康治元財務次官は、財政破綻という氷山に衝突する恐怖心をタイタニック号になぞらえて、次のように述べている。彼は、政治家が「バラマキ」を続け、政府債務を増やし続けるなら「財政破綻」は免れないと、警鐘を鳴らしている(文芸春秋二〇二一年十一月号)。矢野氏は、ハイパーインフレに代わり、財政破綻という悪夢を持ち出してきたのである。

 

「今の日本の状況を喩えれば、タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなものです。氷山(債務)はすでに巨大なのに、この山をさらに大きくしながら航海を続けているのです。・・・ただ、霧に包まれているせいで、いつ目の前に現れるかがわからない。そのため衝突を回避しようとする緊張感が緩んでいるのです」

「財務省の最も重要な仕事は国家の経済が破綻しないよう、財政規律を維持することです。・・・財政規律が崩壊すれば、国は本当に崩壊してしまいます。大幅な赤字財政が続く日本では、財政健全化のために増税は避けられず、そのために財務省は事あるごとに政治に対して増税を求めてきました」

 

ところが、矢野氏は、右の論文の中で、「財政規律」、「財政健全化」という抽象的な錦の御旗を振りかざすのみで、その定義を全く示していない。赤字国債の発行額がどの程度になれば、「財政健全化」が失われ、あるいは「財政規律」が崩壊するのかは明らかにされていないのである。一九九九年に制定された財務省設置法では、財務省の任務として巧妙にも「健全な財政の確保」が挿入されたが、その定義は今も不明確なまま財務省に委ねられたままなのである。

 

「財政の健全化」の目標については、鈴木俊一財務大臣が、一つの示唆を与えている。令和五年三月九日の参院財政金融委員会で、鈴木財務大臣は、通貨の「信認」を確保するため、債務残高の対名目GDP比を安定的に削減することを目標としていると発言した(西田昌司議員の質問に対する答弁)。

では、どの程度まで削減すべきなのかは明確にされていない。鈴木大臣の答弁は理念目標にとどまり、具体的な数値目標を示しえていないのである。また、増税による「健全財政」が経済成長を阻害するのではないかという重大な懸念にたいしても答えていないのである。

 

しかしながら、赤字国債の巨額の発行が「財政インフレ」を引き起こすとは限らないことは、近年の経験からも明らかである。たとえば、二〇二二年の政府債務の対GDP比は二六〇%に増加しており、これは一九四五年の一三〇%の二倍に相当するが、戦後のような急角度の「財政インフレ」は起きていない。

また、リーマンショックのあとの財政出動やコロナ対策の巨額の財政出動に伴い、二〇二二年度の政府の負債は、一九七〇年度と比べて、一七〇倍に増大しているが、通貨の「信認」は全く崩れていない。まして、財政破綻という「氷山」に衝突しようとする気配も感じられないのである。

 

国債発行は信用創造

 

財務省は、国債発行残高の増大に恐怖心を抱いているようであるが、国債発行残高は、過去に発行した金額の合計であるから、増え続けていくのが道理であって、その対GDP比もデフレが続く限り、増大するわけで、それ自体何ら問題はない。むしろ、対GDP比を減らそうとすれば、信用が収縮しさらにデフレを激化させることになろう。

もちろん、だからと言って、無制限に国債を発行してもよいというわけではなく、許容しうるインフレ率の範囲内という制限があることはいうまでもない。もしも、許容しうるインフレ率を逸脱しそうな場合は、租税および(または)政策金利の引き上げを通じて沈静化すればよいのである。

 

周知のことであるが、政府の国債は、日銀の当座預金勘定を通じて発行されるのであって、民間の預貯金を当てにして発行されているのではない。現代貨幣理論によれば、国債発行は、信用創造であり、これによって新たに貨幣を産み、民間の資産を増やしているのである。

この点については、財務省当局者は、令和5年五月二十五日の参議院委員会において、国債の発行は「国民の借金」ではなく、それによって民間の預貯金が増えることを認める答弁をしている(西田昌司議員の質問)。

 

ところが、財務省の記者会見では、いまだに政府の負債を国の「借金」と言い換え、国民一人当たりの「借金」は約九百万円に上ると発表している。マスメディアは、この発表に洗脳され、オウムのように国民の「借金」説を繰り返している。これは家計の借金恐怖症に訴えた財務省一流のプロパガンダといわねばなるまい。

 

また、国債の償還は、借換債の発行によってなされるのであって、将来の税収――例えば消費増税の歳入によって返済されるのではない。言い換えれば、借換債による国債の償還は、将来世代に全く負担をかけていないのであって、現行の六十年償還ルールに基づき毎年度に一定割合の国債償還費をわざわざ予算計上する必要もないのである。

 

さらに言えば、建設国債と赤字国債を区別する合理的な定義を財務省は今日に至るも明確に示していない。たとえば海上保安庁艦艇の支出は国土交通省の所管だから建設国債でまかなわれているが、防衛省所管の自衛隊の艦艇は赤字国債に分類されている。人材育成のための教育投資や先端技術開発投資のための国債発行は「建設的でない」という理由で、赤字国債に分類しているのも合理的とは思えない。

合理的な区分ができないので、海外では、建設国債と赤字国債を区別している国は見当たらない。この際、占領軍の遺産ともいうべき財政法と特例公債法を改正し、緊縮財政の根拠となっているこの区別を廃止し、「国債」に一本化すべきではないだろうか。

 

ちなみに、財務官僚は、入省後に緊縮財政を正当化した財政法を学習するが、複式簿記や財務諸表論を理解している者は極めて少ない。彼らは、単年度の収支を合わせるだけの大福帳式の予算編成に満足している。したがって、長期の国土計画や先端技術開発計画に束縛されることを嫌うとともに、日銀を含めた統合政府のバランスシートをみて、財政の健全性を判断しようとしないのである。おそらく、矢野元次官もその一人であったに違いない。

 

安倍晋三総理VS財務省

 

以上述べたような財務省独自の「財政規律」文化の欠陥を知っている政治家はきわめて少ないが、安倍晋三総理は例外的な存在であった。歴代で最長の内閣を組織した安倍晋三首相は、戦後の特異な財務省文化の欠陥を知り、これを正面から是正しようとした稀有な政治家であった。

『安倍晋三回顧録』において、安倍首相は、財務省との駆け引きに腐心したことを次のように述べている。

 

「第一次(安倍)内閣のときは、財務官僚の言うことを結構尊重していました。でも第二次内閣になって、彼らの言うとおりにやる必要はないと考えるようになりました。だって、デフレ下における増税は、政策として間違っている。…彼らは税収の増減を気にしているだけで実体経済を考えていません」

「財務省が準備する(予算委員会用の)答弁資料は、全く話にならないのです。「財政の健全化にむけて歳出・歳入改革をすすめる」とか、私の政策を全く理解していないのです」

「金融緩和と同時に財政出動を行う、成長戦略も推進するという三本の矢も、最初は相当批判されました。株価が暴落するだの、円高になるのではないかと、いろいろ言われましたが、そうした当時の指摘が間違っていたことは、証明されたと思いますよ」

 

自信を深めた安倍総理は、第二次政権で三本の矢政策(アベノミクス)を推進しようとしたが、ことごとく財務省の妨害を受けた。財務省は、税収を増やすことが最優先であり、増税が実体経済に悪影響を及ぼしてもやむを得ないと考えていたのである。その結果、デフレは三十年近くに及び、企業活動は停滞し、実質賃金も低下した。政治主導で日本経済を復活させようとした安倍内閣にとって、財務省の省益優先姿勢は我慢ならないことであった。安倍総理は、憤りを含めてこう語っている。

 

「政治主導とは何か。根本は選挙で政策を公約し国民から多数の指示をいただいて政権を取り、約束したことを実行していくことでしょう。…内閣が政策を実行しようとしているのに、官僚が自分たちの役所の利益にならないからと、妨害するのは許されません」

 

しかし、総理に叱責されたからと言って、素直に引きさがる財務官僚ではない。彼らは、あの手この手で、総理の方針を覆すための画策を講じていく。総理が方針を変更しないとみると、倒閣に舵を切るのである。

 

「財務官僚は、官邸の首相執務室に複数で来て、私に財政政策について説明をするとき、一人の役人しかしゃべらないのです。私の前では一切議論しない。要は、情報収集で官邸に足を運んでいるのです。そして、官邸を去ってから、財務省内で作戦会議を開いて対応を決める。私が増税に慎重な話をした場合、私の方針を覆すためにいろいろと画策するわけです」

 

「財務省の幹部は、参院のドンと言われた青木幹雄も元参院幹事長や、公明党の支持御体である創価学会幹部のもとを頻繁に訪れて、安倍政権の先行きを話し合っていたようです。そして内閣支持率が落ちると、財務官僚は、自分たちが主導する新政権の準備をはじめるわけです。『目先の政権維持しか興味がない政治家は愚かだ。やはり、国の財政を預かっている自分たちが一番偉い』という考え方なのでしょうね」

 

「私は、密かに疑っているのですが、森友学園の国有地売却問題は、私の足をすくうための財務省の策略の可能性がゼロではない。財務省は、当初から、森友側との土地取引が深刻な問題だとわかっていたはずなのです。でも、私のもとには、土地取引の交渉記録など資料は一切届けられませんでした。森友問題は、マスコミの報道で初めて知ることが多かったです」

 

これでは、内閣主導ではなく、財務省主導の政治である。憲法上は、内閣に行政権があるのであって、財務省は内閣の方針に従って行政事務の一部を実施するにすぎない。しかし、政治家とマスメディアを脅迫しうる税務調査権を持ち、予算編成権を独占する財務省は、内閣を凌駕する権力を誇示するようになった。これは、本末転倒と言わねばならない。

 

周知の通り、財務省の誤った増税政策と緊縮財政至上主義により、企業活動は衰え、派遣社員が増え、実質賃金は低下したままで、未婚化と少子化が進み、防衛を含む国力と国際競争力が低下し、その結果、選挙において責任を取らされたのは政治家であった。橋本龍太郎総理から、野田佳彦総理に至るまで、失政の責任を取らされて下野した政治家は数多いが、財務官僚でデフレ政策の責任を認めて謝罪した者も、辞任した者もいないのである。まして、解任された財務官僚は、セクハラ、パワハラをのぞき誰一人いないのである。

 

 内閣予算局に再編成する

 

本来、財務省は、財政の「健全化」だけでなく、雇用、物価、マネ―ストック、インフラの整備など経済活動の全体に配慮すべきであるが、その役目を忘れてしまい、税収を増やすことに重点をおいた緊縮予算の編成を過去三十年間続けてきた。

 

その結果生まれたデフレギャップは、二十兆円程度あるとみられているので、これを埋める国債発行および(または)消費税減税を急ぐべきであろう。そして、プライマリーバランス黒字化目標という緊縮財政を正当化する特異な閣議決定を廃止し、これに代わる目標――例えば、「GDPデフレーターを三%以下に抑えつつ、雇用と実質賃金の最大化を図ること」などを検討すべきではないだろうか。

しかし、そういう斬新な政策を実行するには、財務省の力を超える内閣の誕生を待たねばならない。財務省の強大な影響力を超えることができ、かつ政策に明るい内閣が必要となる。果たして、それはどうすれば実現できるのであろうか。

 

それには、まず財務省の権力の源泉について調べてみることから始めなければならない。政界のみならず、財界やマスメディアにも強力な影響力をもつ財務省は、予算案の編成権と税務調査権をもっている。彼らは、財政制度等審議会という隠れ蓑を用いて、毎年度の骨太の方針を決定する。

例えば、二〇二二年の骨太の方針では、今後三年間で社会保障費を除き、一千億円しか一般会計を増やせないという超緊縮の概算要求額を早々と決めてしまった。この方針は、二〇二三年の骨太の方針においても基本的に継承されている。

しかし、この骨太の方針は本来、内閣が与党との協議を経て政治主導で決定し、それに基づき、財務省主計局が各省との折衝を経て予算案を編成し、最後に国会で承認すべきものである。財務省が主導する審議会で予算の編成方針を早々と事実上決めてしまうのは越権行為ではないだろうか。

 

こうした財務省の傲慢ともいえる越権行為を防ぐにはどうすればよいだろうか。ここで一つの妙案がある。それは、財務省主計局を財務省から切り離し、そのまま内閣予算局として内閣官房に移管することである。そうすれば、内閣総理大臣が経済財政運営の基本方針を発議し、内閣が決定し、概算要求額に承認を与えることになる。

そして、財政制度等審議会も、税制調査会と同じように内閣府の諮問機関と位置付ければよい。こうすれば、財務省の伝統的な緊縮指向や国債恐怖症に感染しなくても済むに違いない。

 

この場合において、もしも、内閣予算局長が内閣の基本方針に反旗を翻すなら、直ちに罷免すればよい。そのために、内閣人事局があるわけである。逆に、内閣総理大臣は、人事局と予算局の二つを配下に置くことによって財務省に奪われた本来の権限を取り戻すことができるだろう。安倍総理は、強力な内閣官房をつくろうとして人事局を設置したが、予算局まで手が回らなかったのは惜しまれる。

 

問題は、こうして内閣官房に移管された予算局の官僚のその後の移動や処遇である。彼らが、再び本省に還ることとなれば、内閣への忠誠心はうすれるから、予算局長を最高位として退任させねばならない。そして、予算局員は、内閣官房の他の部局――国家安全保障局、人事局、法制局、広報官室や内閣府などを適宜遍歴させて経験を積ませることとする。

こうすれば、外交、防衛を含めオールオウンドな視野と国家戦略を持った真の内閣官僚が育つことになる。言うまでもなく、内閣人事局は、各省庁から優秀な官僚を三十歳台で発掘、抜擢し、自前の内閣官僚として長期的に育てていかねばならない。

 

歳入庁の設置へ

 

次に不可欠な改革は、国税庁を財務省から分離し、社会保険庁と合体させ歳入庁として編成しなおすことである。OECD基準では、社会保険料は税金と同一視されているので、国民負担率を統合的に管理、調整するために必要な改革である。この歳入庁は、内閣府の外局とする。その代わりに、金融庁を財務省に再統合し、米国財務省と同様に、金融と国有財産の管理を主たる任務とさせるのである。

 

歳入庁ができれば、税金に加えて、年金、健康保険、雇用保険などの社会保険料の徴収も一括して効率的に集めることができ、徴収漏れを少なくすることができる。すでに欧米では、歳入庁による一括徴収が定着している。

歳入庁の創設については、二〇一四年に検討されたことがある。  民主党の「税と社会保険料を徴収する体制の構築についての作業チーム」が、同年に中間報告を取りまとめ公表した。それによれば、マイナンバー制度導入後に統合システムの開発をおこない、二〇一八年以降に運用を開始するという目標を定めていたが、その後遅々として進んでいない。マイナンバー制度がまだ完全に定着していないうえに、国税庁の権限を手放したくない財務省が反対してきたからである。安倍内閣も、歳入庁の創設に取り組もうとしたが、財務省が政治的に動いて構想をつぶしてしまった経緯がある。

 

以上の改革――内閣予算局と歳入庁の設立によって、内閣は強大な補佐体制を築くことができる。各省庁の権益を超え、国家としての総合力を発揮しうる政策の統合が容易となる。明治憲法以来の課題であった内閣を中心とする意思決定システムがこうして整備されることとなるのである。

 

明治憲法下では、内閣は軍の統帥権を持たず、総理の発議権も明文化されていなかった。戦後は、内務省なきあと「官庁の中の官庁」となった大蔵省(財務省)が、占領軍の代理人として専権を振るい、日本弱体化を狙った憲法と財政法に裏書きを与えてきたのであった。

いわゆる防衛費の一%枠も、不文律として定められ、我が国の戦力の強化を抑制してきたが、これは、戦略環境の変化を無視し「健全財政」を優先させた財務省の策略の一つであったといってよい。我が国は、二〇二三年に変更されるまで、財政政策の一環としての防衛予算しか認めなかったのである。

 

大統領制に一歩近づけた、以上の内閣制度の改革を通じて、内閣は、強大な権力を持つことになるが、このような権力の内閣集中を危惧する向きもあるかもしれない。しかし、その結果生まれた経済政策が失敗した場合は、直ちに選挙の洗礼を受け、政権と内閣は交代し、政策が修正されることになるから心配はいらない。誤った財政政策が修正されず、長期デフレや賃金の低下、国力の地盤沈下が三十年近く続くといった異常事態はなくなり、早めの政策修正が行われるだろうと期待される。

 

いうまでもなく、そのためには、政治家自身の自己改革と政党の立法能力の向上、国会運営の効率化が求められる。紙数が尽きたので、これには触れないが、政党と国会が率先して自己改革を行い、強力な内閣制度を樹立することに成功すれば、財務省に奪われた国の基本政策の立案と実行の権限を取り戻すことができるようになろう。

その時初めて、日本の弱体化を目指した占領政策を打破し、「戦後レジームからの脱却」を果たすことができるであろう。そして、国債恐怖症に感染した財務省を占領軍の呪縛から解放することが可能になるだろうと思う。それができるかどうかは、ひとえに今後の国民の覚醒と諸政党の決意にかかっている。(了)

 

主要参考文献

平井平治 『財政法逐条解説』、昭和二十二年、一洋社

矢野康治 「このままでは国家財政は破綻する」、『文芸春秋』二〇二一年十一月号

安倍晋三 『安倍晋三回顧録』、二〇二三年、中央公論新社

斉藤次郎 「安倍晋三回顧録に反論する」、 『文芸春秋』二〇ニ三年五月号

藤井聡 『プライマリ―バランス亡国論』、二〇二二年、扶桑社

財政制度等審議会財政制度等分科会建議、令和五年五月二十九日等

自民党政務調査会財政政策検討本部提言、二〇二三年六月一日

中野剛志 『どうする財源』、二〇二三年、祥伝社

三橋貴明 『日本経済失敗の本質』、二〇二三年、小学館