日本を変える政策条例――五つの方向で取り組もう

 

 

 

経済が伸び悩み、雇用が減少し、自治体の収入も減っていく中で、どのようにすれば地域の活力を維持し、増大させることができるのだろうか。全国の自治体の首長や議会は、いま真剣に悩んでいる。国の財政も危機に瀕しているから、これに頼りきりというわけにもいかない。

 

とすると、今ある資源を有効に活用するほかないだろう。すなわち、住民と企業、団体の知恵と資金を引出し、エネルギー、雇用、教育、介護、医療といった特定の政策に向けて結集していく枠組みを作ることだ。多くの自治体は、いま政策条例を通じて、そうした枠組みを作り上げようと試行錯誤を続けている。

 

本稿においては、今後の政策条例づくりに求められる五つの基本的な方向性を提示してみたい。

  1. ――開くということ

自治体がその地域内で持っている資源、つまり資金、人材、技術、ノウハウなどをいかにうまく活用して相乗効果をあげていくかが問われているが、それが地域内に欠けているなら国内に求め、国内に足りないなら、広く海外に目を向けて海外の資源を利用することである。

 

たとえば、海外ファンドの資金を使ってベトナムで工業団地を造成し、中小企業に貸し出す、農協と共同でミャンマーに農地を確保し、大規模農業を展開する、漁協と組んで南洋諸国に漁業技術を供与し、見返りに一定の漁獲をえる、水道局がインドネシアに水道技術を輸出して儲けるといったことを考えてもよいのである。

 

また、屋久島、西表島に豊富に流れる水をボトルに詰めて、中国に販売してもよいのである。

 

北九州市は、すでに微生物を利用した浄水処理技術をベトナムのハイホンなどに輸出している。146か国から、研修生を受け入れているが、それによって海外からの引き合いが増え、地元の水道業界は潤っている。

 

自治体経営が、狭い国内だけにとどまらなければならない理由はない。

幸か不幸か、欧米諸国も日本も、リーマンショック以来、膨大な紙幣を乱発しているから、いまなら投資機会を探している民間資金は内外に潤沢にある。だから、海外を含め民間資金を導入しやすくする枠組みづくりの条例を作り、それに基づいてプロジェクトマネジメントの体制を構築することを急がなければならない。

 

たとえば、PFI(民間資金活用)を促進する条例が用意されれば、地熱発電や海洋発電といった将来性のある事業は、進展しやすくなるはずだ。すでに、PFIに関する法律は制定されているが、自治体独自の条例があっても差し支えない。むしろ、企業と住民の関心を高め、自前でプロジェクトマネジャーを養成するためにも、PFI条例の制定が望ましいと思う。

 

特にエネルギーの分野では、電力会社に任せないで、自治体が積極的に関与し、エネルギーファンドを活用して地熱、バイオ発電、太陽熱など地域自体のエネルギー源を確保していかねばならない。原子力発電関連の交付金も、箱モノではなく、再生エネルギーの強化に振り向けるべきである。

 

自前の安価なエネルギー源を十分に確保できたなら、我が国は再び力強い経済成長を遂げることができる。小型水力発電など地域内で再生されるエネルギー源の確保にもっと自治体は注力すべきであろう。そうすることが、地域の雇用を手っ取り早く増やすことになる。

 

このほか、すでに、各地で、スポーツ施設や病院、中学校、刑務所も、民間資金を活用して建設、運営されている。

開放的な姿勢という点では、シンガポールが参考になる。

 

人口540万人のシンガポールは、早くから国内市場を開き、世界から広く人材と資金と技術を集め、食料はほとんど輸入に頼っているものの、いまではわが国を上回る国内総生産(一人当たり5万6千ドル、世界9位、我が国は3万六千ドル、25位)を達成した。ロンドンから優秀なファンドマネジャーを、大阪から最高のバイオ技術者を招聘し、外国人の生活しやすい教育、医療環境を整え、中東と中国から豊富な資金を導入してきた。

 

それを支えたのは、シンガポールの公務員である。私は、彼らと付き合ったことがあるが、その優秀さと廉潔さに舌を巻いたことがある。

インド人、中国人、マレー人など人種は多彩だが、きわめて優秀で、三か国語をあやつり、実験精神に富んでいる。日本から持って行った小さいお土産も受け取らなかった潔癖さにも驚いた。一党独裁国家は必ず腐敗するものだが、シンガポールでは信賞必罰が徹底しているようだ。

日本の公務員は、優秀で清潔と言われているが、シンガポールに比べれば、はるかに見劣りするのである。我が国では、市会議員の口利きなどで採用が決まる慣行が絶ち切れていない。

 

わが国の自治体も、要するに、それぞれ小シンガポールを目指せばよいということだ。役に立たない職員を排除し、外国人も含め、企画力と実行力のある人材を中途採用あるいは契約採用し、世界から広く資金と技術を集めること、そしてそれを推進するための条例と制度を整備することである。

 

近年、住民参加に道を開く理念的な条例づくりが流行しているが、住民参加条例を含めて、「開く」ということが、これからの政策条例のキーワードのひとつとなる。ただし、外国人の参加は、憲法違反の疑いがあり、これを認めるべきではない。

 

②――集めるということ

 

地方行政を外に向かって「開く」ことを決めると、次に求められるのは、住民と企業、団体の力を「集める」ことである。

 

たとえば、委嘱した市民モニターが、職員の不当行為や怠慢を監視し、通報する仕組みを作ることである。英国が行っているように、地域から教育ボランティアを募り、学校経営や授業がうまく運ぶよう補佐してもらうことである。先生だけでは手に負えない学級崩壊を教員OB、警察OBなどが手助けする仕組み、住民が、自発的に障害児童の世話をしたり、植樹したりする誘導的な枠組みも望まれる。

 

また、企業が里山の保全や、農村振興に協力しやすくなる枠組みを定めることも考えられてよい。企業の従業員が、若年失業者の技能訓練を奉仕として行うことを容易にする仕組みも求められている。学童保育の世話、母子家庭の子女の世話など、住民や企業の力を結集する仕組みを急いで作らねばならない。

 

このような仕組みは、内部規則で定めてもよいが、やはり条例を制定したほうが、議会の意気込みが伝わるので、住民に与えるインパクトは大きいものがあると思われる。自治体の財政が窮迫していく中で、いかにして住民と企業の力を引き出すことができるか、首長と議会の能力が試されている。

海外を含め、あふれている民間資金をいかに「集める」か、この点でも自治体の手腕が問われている。新興国の人口が爆発する21世紀は、エネルギーと水と食糧が不足することは確かであるから、この分野で魅力的な事業計画を作成することに成功した自治体は、世界から多額のPFI資金をかき集めることができるだろう。

 

海外の投資家たちは、日本の自治体から、地熱発電、潮流発電、浄化水、食料工場などの斬新な事業計画が出て来るのを、首を長くして待っているのである。汚染水や汚染空気になやむ中国も、日本からすぐれた技術を吸収したいと願っている。

 

だが、自治体側に、事業企画の人材もノウハウも不足しているため、なかなか進展していない。

首長は、本来は自治体という事業体の経営者であるべきなのだが、基本的な財務分析やマーケティングの訓練を受けていない人が多い。だから、自治体経理を企業会計に切り替えても、財務諸表を読みこなせないのである。経営者である首長は、その地域の雇用数や住宅建設の動向、中小企業の業況の変動を毎月モニターしなければならないのだが、関心は低いようである。自治体職員も、法律、条例の素養に加えて、経営学の習得が求められているのだが、現状は程遠い。

 

だから、当面は、まず商社、投資銀行のOBなどから人材を集め、事業開発室に配置することから始めるのが早道であろう。そのまわりに、エンジニア、学者、デザイナー、弁護士などの支援群を事業ごとに置くのである。四万十市では、商品デザイナーを招へいして、海産物など地場商品のデザインを改善し、売り上げを伸ばしている。徳島の山間部では、タブレットで管理しながら、料亭向けに青もみじ、笹の葉などを採集し、農家の収入を劇的に増やしている。

 

彼らが、先頭に立って地場産業の育成、バイオ発電、温泉発電、廃棄物処理、予防医療、連結会計などの枠組み作りの政策条例を制定していくように誘導しなければならない。

 

その実施に伴いおきる紛争を調停する仕組みの条例も用意しておくべきである。例えば、地熱発電に伴い生じるはずの温泉業者との紛争を早期に調停するADR(裁判外解決)の仕組みの条例を制定しておくとよいだろう。自治体が調停委員会を置くなど、紛争解決に乗り出す姿勢を示すことが、新規事業の進展に寄与する。

 

経営のわかる人材を集め、住民と企業の知恵を集めることに成功すれば、必要な資金は心配しなくても必ず集まってくるのである。資金が集まらないのは、まだ事業プランが熟していないためといってよい。

 

③――整えるということ

 

地域社会は、需要と供給の無数のマトリックスの上に成り立っている。

 

さまざまな商品、サービスの売り手と買い手の複雑な網の目の上に成り立っている。これを行政が完全に管理することはできず、管理しようとすると必ずひずみが生じ、失敗する。ソ連や中国の計画経済が失敗してきたことは、歴史から明らかである。

 

しかし、自由な市場にまかせたままだと、大気汚染や水質汚濁など外部不経済が生じる。自由化で安い外材の輸入が増えたために、森林が荒廃し、水源が枯渇し始めている。また、産業廃棄物が増大し、地域の環境に大きい負荷を及ばし始めている。こういう場合は、行政が介入し、市場の秩序を整える必要がある。

 

水の市場を例にとってみよう。

これまで水源の役を果たしてきた山々は間伐や枝打ちが進まないので、いま荒れはて、がけ崩れが起こりやすくなり、保水能力も落ちてきている。間伐の補助を行い、木材チップの発電所を建設するなど、森林経営が成り立つように、市場メカニズムを整えなければならない。

 

すでに高知県などでは、県民税に年間数百円を上乗せする形で森林環境税を徴収し、森林保全基金を創設した。工場など、大規模な地下水採取者に所定の分担金を課し、その収入を森の保護に充てているところもある。あるいは、水道代に水源涵養分担金を上乗せし、税収を山林の保全に使うことも考えられる。このようにすれば、水と木の需要と供給のよい循環が始まるはずである。

 

また、増大する一方の産業廃棄物に地方税を課し、処分場の建設やリサイクルの促進に使うことも、循環型社会にむけて必要とされている。東北などから受け入れる瓦礫の処分にも、この地方税収入の一部を補助し、受け入れやすくするほか、放射線の検査、除去、住民対策などにも充てることとすれば、瓦礫の処理は一層進むはずである。今後予想される、東京直下型地震、東南海地震などに備えて、いまから百か所以上の廃棄物処理場を準備しておかねばならないが、その資金として産業廃棄賦課金を活用してはどうであろうか。(東北大震災後の復興を妨げたのは、瓦礫の受け入れ処理場の不足であった)

 

いま問題となっている電力市場を例にとってみると、電力需要は、昼間に集中し、夜間は少ない。特に、夏場の昼のピーク時間帯のために、電力会社は膨大な設備投資を続けてきたが、ピーク時間帯を除くと大幅な供給過剰となっている。

 

したがって、昼間のピーク時間帯の電力使用に対し、条例で需要調整賦課金(分担金)をかけると、電力需要をもっと平準化させることができ、新規の設備投資を節約することができる。

 

その調整金収入でスマートメーターの購入や夜間電力の蓄電装置の購入に補助金をつけると一石二鳥となる。また、バイオ発電など代替エネルギーの開発を補助することもできる。

 

季節や時間帯に応じて、きめ細かく調整金を変えることができるから、大都市の夏場のように電力事情が厳しい場合は、自治体が独自にやってみる価値がある。サマータイムや在宅勤務を奨励する条例を通じて、ピーク時間帯をなだらかにすることも考えられる。北九州市では、太陽発電で得た電気を、公共施設や工場に販売しているが、そのさい需給に応じて、五段階の料金を設定している。

 

同じように、交通のピーク時間帯に車両や電車の利用に対し混雑賦課金を課して、混雑を調整することもできる。シンガポールでは、電子感知装置を利用した道路の混雑賦課金制度が導入されている。新たに道路や軌道を建設するよりも安上がりであり、賦課金収入を交通環境の改善に用いることができる。

 

 また、郊外の大規模店舗が増えたおかげで、中心街がシャッター通りになっているところが多いが、この場合も、郊外店舗に開発調整分担金を課し、その収入で中心地の再開発や補修を補助するというメカニズムも検討してよいのではないだろうか。

 

大都市への一極集中をさけるために創設された事業所税も、適用除外が多いためか、うまく機能していないようである。床面積平米あたり600円の事業所税の収入は、同じ都市の道路、学校、上下水道などに使われるので、ますます便利になって人口集中が進むという矛盾を生んでいる。この20年間で加速した東京への一極集中を分散させるため、大都市圏の事業所税収入を仙台など地方中核都市に再配分することが必要である。このような自治体間の調整メカニズムを利用した行政手法が、地方税法等に規定されていないのは、重大な欠陥ではないだろうか。

 

低成長経済においては、もう以前のように発電所、道路、軌道、上下水道などインフラ設備に大規模投資することはできなくなった。そのうえ、人口の集中と過疎、需要のピークと閑散、工業の隆盛と農林業の衰退といった二極分化が進んでいる。

 

そのような格差を平準化し、あわせて既存の設備や資源の有効活用を図るため、自治体が、政策条例によって、ひずみの生まれたマーケットメカニズムを「整える」ことが求められている。

 

④――助け合うということ

 

けれども、よく考えてみると、この世はマーケットメカニズムだけで動いているわけではない。親は、子供が将来面倒を見てくれることをあてにして、子育てをしているのではない。母親は、報酬を期待しない無償の愛を子供に注いでいるのである。

 

経済学では、それを贈与の行為という。母親は、わが身を削って赤ちゃんを産み、自分は食べなくても先に子供に食べさせようとする。

 この贈与の原理を地域社会全体に及ぼすことも、自治体の大事な仕事といってよい。ぎすぎすした営利社会にこの助け合いの精神を普及させることが、新しい政策条例の課題となっている。

東北大地震は、この意味で、天の配剤というべきだろう。日本社会が営利を離れて、心ひとつに助け合い、支え合う大切な機会を与えてくれたのである。

 

とはいっても、まだ地方自治体は、このチャンスを生かし切れていないようである。瓦礫の受け入れを拒む一部の住民を自治体が積極的に誘導する仕組みをつくろうとしていないのである。ほとんどの首長も議会も「さわらぬ神にたたりなし」と静観しているかのようである。

 

瓦礫の受け入れは、議会の議決で足りるのであるが、今後火山噴火など、大災害が続出する可能性を考えると、条例で廃棄、焼却、除染の監視を含めてしっかり体制を整備しておくのが望ましいと思う。それによって、自治体の覚悟のほどを全国にしめすことができるだろう。環境省に先んじて、積極的な受け入れ条例を制定する自治体が現れることを期待したい。

 

また、身障者、災害遺児、母子家庭、うつ病患者など恵まれない人々を草の根で援助している奇特な人士は少なくないが、陰に隠れて表に出ないことが多い。こういった有徳の人を発掘、顕彰し、あわせて互助の精神を広めていくための条例も求められている。そうすれば、マスメディアの報道を通じて、ますます互助の精神が地域に定着していくことであろう。

 

地方財政が窮迫していくにつれ、ボランティアの募集と養成は、重要な意味を帯びてきている。崩壊した学級の授業を補佐し、落ちこぼれ児童を指導する地域の奉仕者、若年失業者に技能訓練をするNPO法人、植樹を手伝う団体などを支援する仕組みを条例でしっかり組み立てたい。

 

退職後の長い人生を持て余している意欲的な年金受給者にも歓迎されるはずである。彼らも、年金の御恩返しも含め、老後の生きがいを求めているのである。

 

また、高校生には、夏休みに介護や警察、消防の仕事を体験させ、単位を与えること、地域の青年に郷土防衛隊を組織させ災害援助や後方支援に従事させることも工夫されてよい。大学への入学が9月に移行するなら、4月から9月までの間にこのような体験学習、訓練を施す余地が生まれてくる。

 

そうした奉仕活動に対し、条例で自治体独自の地域通貨を発行することができれば、奉仕の輪は次第に広がっていくはずだ。所定の地域通貨(ポイント制)をボランティアに交付し、商品やサービスと割引交換できるようにすれば、地域の購買も高まり、地域の結びつきも深まっていく。

最近流行のシェアリング(分かち合い)も助け合いの形態の一つである。

 

低成長経済においては、所有することより使用できることの方が大事になってきた。過疎地における車の使用のシェアリング、農村での農機具の共同使用、事務所や秘書の共同利用も盛んになってきたが、その需要と供給をうまく組み合わせるソフトの開発など、シェアリング促進条例も検討すべきではないだろうか。

 

⑤――除くということ

 

しかし、新しいことをやろうとすると、必ず抵抗が起きる。

 

既得権に胡坐をかいている独占企業、職員組合、業界団体、既成政党などが必ず徒党を組んで妨害してくる。逆にいうと、妨害の少ない政策は、それだけ効果も少ないのである。

だから、事前に誰がどのようにどの程度反対するか予測し、その勢力をできる限り分断し、最後に残った少数の抵抗勢力を包囲し、孤立させ、撃破あるいは活動停止させる必要がある。

 

その点で巧みだったのは、明治の元勲、大久保利通である。彼は「一利を起すは、一害を除くにしかず」を座右の銘とし、これを新設した内務省の標語とした。

 

新しい制度を導入するより前に、まず旧弊を除去しなければならないという意味で、「幕府時代に積もり積もった悪弊、旧習を取り除け」と指示したのである。

 

もとは、モンゴル帝国に仕えた宰相、耶律楚材の言葉であるが、大久保は、このモットーの下に廃刀令、廃藩置県などを断行し、旧幕以来の抵抗勢力を取り除いていき、最後の牙城となった西郷隆盛の部隊を容赦なく殲滅させたのであった。

 

大阪の橋下市長のやり方も、これとよく似ている。

教育改革に抵抗する教育委員と教職員組合、文部省などの旧勢力を市民の眼前にあぶりだし、分断し、包囲し、最後に条例の可否を問う選挙という一大政争において敵勢力を敗退させたのであった。橋下氏は、教育委員会ではなく、首長が教育目標の制定に関与するという教育基本条例を掲げて文部省とも対峙し、最終的にその立場を貫いたのであった。聖域となっていた閉鎖的な教育委員会に切り込み、教育委員の罷免権を首長がもつこと、校長の権限を強化するなど、政治主導を明らかにしたのである。

 

その時の錦の御旗は、職員基本条例や教育基本条例であり、大阪都構想協議会の設置条例等の提案であった。職員基本条例では、20人に1人の割で最低の評価を下すなど、人事評価を徹底させ、馴れ合いで行われていた勤務評価を一新したのである。

  

最近の大阪府市の動きを見てみると、職員組合や中央官庁といった既得権に固執する旧勢力を包囲する錦の御旗として、条例の制定が、重要な意味を持つにいたったことがよくわかる。条例は、単に自治体の業務を執行するための道具にとどまらず、市民の意識を高め、市民の賛同を得ることによって、既得権にあぐらをかく抵抗勢力を除くための武器ともなったのである。

 

「一害を除く」といっても、それは組合や官庁自体を除去するということではない、彼らの、賞味期限の切れた旧いイデオロギーと不当な慣行そして官庁に都合の良い有権的な法律解釈を打破すれば、それで足りるのである。組合が教員人事を事実上握り、教科書の選定を差配していた悪慣行は、条例によって是正されつつある。

自治体の旧弊を除くための条例において、これまでは禁止、制限、制裁という手法が多く用いられてきた。国歌斉唱に起立しない教員に対し戒告などの処分を下す、勤務時間中に組合活動を行う交通局職員を告発するといった手法である。

 

だが、その前に為すべきもうひとつの有効な手法がある。

 

それは、情報の収集と公表である。抵抗勢力がいかに既得権益に安住し怠けているか、新規参入を阻んできたか、給与に見合った仕事をしていないか、教科書会社から裏リベートを得ているか。それらの情報を収集し、市民に公開する仕組みの条例を作ることである。そうすれば、どの組合、企業、団体、職員に問題があるのか、これをあぶり出し、市民の前に突き付けることができるはずである。

 

情報公開や内部通報に関する諸法律は、すでに制定されているが、自治体においてはまだ十分その趣旨を生かした情報公開条例が作成されていないようである。自治体に不当な圧力をかけ、市民の犠牲において甘い汁を吸おうとする諸団体などの介入の手口を記録し、報告させ、これをインターネットなどで公開する条例の制定が求められていると思う。自治体職員の給与表や職員組合の財務諸表の公開、自治労の活動の公開も、市民参加を深化させるうえで必要なことである。地域独占であった電力会社の子会社、関係会社の財務の公開を求める条例も求められている。

 

自治体に巣食う無駄な経費は、財政ひっ迫の折から、思い切って削減していかねばならないが、公費に寄生する第三セクター、既得権団体、反社会的勢力など旧勢力をあぶり出し、いぶし上げるため、もっと積極的な公表手法を工夫し活用する余地があると思われる。

 

今後、各自治体が政策条例を考案するに当たっては、以上5つの方向付けが重要になると思われる。 

妨害を排除しつつ、閉鎖的な地域を外に開き、衆知と資金を集め、市場を整えるとともに、助け合いの精神を植え付けていくこと――これが、21世紀の自治体の向かう方向ではないだろうか。それによって、機能麻痺した最近の国会や政府に代わり、新しい国造りの道を切り開いていくことができるであろう。

 

教育、エネルギー、環境、医療、福祉、災害対処、それぞれの分野において、この5つの理念に沿った条例が各地で制定されていくことを強く望みたい。

(近年の条例については、「自治体法務ナビ」にて参照してください)