予算編成権は内閣にーー内閣主計局の設置法

 

財務省の矢野次官が文芸春秋に発表した論考が批判を浴びている。与野党の「ばらまき」政策を攻撃し、緊縮財政を続けなければ財政が破綻すると主張したものである。

この寄稿については、すでに藤井聡、三橋貴明、高橋洋一氏らが過ちを完膚なきまでに指摘しているので、ここでは繰り返さない。(詳しくは、「政府紙幣を発行せよ」の項を参照されたい)

 

矢野氏の寄稿から感じ取れるのは、唯一、財務省が日本の舵を握っているという過大な自負であり、過去30年間のデフレの原因が財政政策の失敗にあることを認めようとしない傲慢さである。その財務省の権力の源泉は、主計局の存在にあり、主計局課長が各省の局長らを呼びつけて、予算の削減を命じるという強権を発動してきた。しかし、主計局の判断基準は、基礎的財政収支の黒字化を目標として単年度の帳尻を合わせる大福帳経済学にすぎない。そこには、雇用の増大や経済成長、人材育成、先端技術の開発といった目標は、副次的なものとして扱われてきた。

 

この路線が続くなら、日本経済はまた30年間のデフレに陥ることであろう。この際、予算の編成権を財務省から切り離し、内閣に移管し、内閣が責任をもって、中長期の経済成長と雇用の増大のために予算を編成するという体制に切り替えなければならない。すなわち、内閣主計局の設置である。すでに、内閣人事局が設置され、内閣の方針に従わない幹部を更迭することが可能となっている。もちろん、これについては各省の幹部が内閣の意向を忖度するという弊害を指摘する向きもあるが、憲法上内閣が最高の意思決定権を持っているので、やむを得ない。

 

予算、決算についても、内閣が責任をもって直接編成するようにすれば、能力のある閣僚が育つとともに、その成否は直ちに内閣の責任となるので、緊張感が生まれることになる。農家への所得補償、コロナで被害を受けた国民への巨額の補償、防衛費の増額、研究開発、教育投資といった政策をメリハリをつけて適時に実施することが容易となる。

財務省管理であると、各省庁の予算の伸びは横並びにされるので、突出した予算が組めないのである。中国からの脅威が高まっているのに、防衛予算は相変わらずGNP1%に据え置かれてきた。

 

内閣主計局の設置は内閣法と財務省設置法の改正により簡単にできる。現在の財務省主計局の陣容はそのままにして、名称だけ変え、任務を移管するだけでよいのである。そして、内閣主計局長の待遇は、財務省事務次官の待遇と同等以上とすればよい、それだけで、非常な責任が内閣にのしかかるのである。

ただし、改正附則において、財務省設置法第3条の「健全な財政の確保」を「適正な財政の運用」に変更する必要がある。なぜなら、「健全な財政の確保」は、プライマリーバランス黒字化の根拠とされてきたからである。

 したがって、内閣主計局の最初の仕事は、同黒字化目標の閣議決定の破棄を準備することとなろう。

 

振り返ってみれば、内務省や陸海軍は占領軍により解体されたのに、大蔵省だけは解体されずに生き残った。それは、占領軍が、大蔵省を通じて占領支配をするのが一番効率が良いと考えたからである。

行政改革で、財務省と名称を変更したものの、主計局と国税庁は温存され、その強大な権力を誇示してきた。しかし、強大な権力を保有してきたために、傲慢さがうまれ、30年のデフレの責任を財務次官の誰一人として負うこともなく君臨してきた。そして、冒頭の誤った矢野論文の登場である。

今こそ、内閣が予算編成について、100%の責任を内外に表明する時期が来た。

 

 (ただし、この場合、忘れてならないことは、内閣主計局の人材は、以後、内閣官僚として育てることとし、交代の時期が来ても、財務省から受け入れてはならないということである。つまり、30台前半で、各省庁より、内閣官僚として優秀な人材を1本釣りをしておき、彼らを内閣官房や内閣府で次第に養成、出世させ、全体の立場で国益と国家戦略を考え、立案できる人材を養成していくことである。これには、20年以上かかるであろうが、縦割りの行政を改善していくには、これ以外の方法はなさそうである)