日本の「民主主義」は、デモクラシーにあらず

 

定着してしまった誤訳

戦後七十年以上が経過しました。

終戦直後、我が国は占領軍の定めた憲法によって国民主権が規定され、いわゆるデモクラシーなるものが導入されました。しかし、日米両国の社会構造は異なっていますから、今日の我が国のデモクラシーは、アメリカ本家のデモクラシーとはすっかり違うものに変容しているように思われます。

それは、このデモクラシーが今日「民主主義」と訳されていることから見てもうかがい知ることができるでしょう。この誤訳の中に、海外から受け入れた制度の日本的な変容を見ることができます。

 

どういうことかと言いますと、本来ならデモクラシーは、国家又は共同体の意思決定のための手続きに関する制度ですから、「民主制」と訳さなければなりません。「議会制民主主義」は、「議会本位民主制」と訳すべきだったのです。

アリストクラシーは貴族制と訳され、オートクラシーは独裁制と訳されているのに、なぜかデモクラシーは「民主主義」と訳されたのです。デモクラシーは、相矛盾する自由と平等を調整するための意思決定の制度なのであって、「民主主義」という思想主義(イズム)ではなかったのです。自由主義や平等主義という思想体系はありますが、民主主義という思想主義はないのです。

 

にもかかわらず、制度であるはずのデモクラシーを「民主主義」と誤訳し、それが定着してきたのですが、それはどうしてでしょうか。実は、それにはある歴史的な経緯があったのです。

振り返ってみますと、我が国の大正時代は、普通選挙運動の盛んになった「大正デモクラシー」の時代とも呼ばれていますが、デモクラシーの旗振り役を演じていた東大教授の吉野作造が大正五年にデモクラシーを「民本主義」と意図的に誤訳したのでした。

 

彼が「民本制」、「民主制」と訳さなかたのは、当時の明治憲法が採用していた立憲君主制と真正面から衝突することを知っていたからです。吉野は、君主制と矛盾しないよう、巧妙に「民本主義」という主義、原理にすり替えて普通選挙運動を推進していったわけです。吉野は、中央公論に寄せた論文(大正五年1月号)の中で次のように主張しています。

 

「国体の君主制たると共和制たるとを問わず、普く通用するところの主義たるがゆえに民本主義という比較的あたらしい用語が一番適当であるかと思ふ」

 

君主制の意思決定システムと民主制の意思決定システムは、原理的には矛盾するのですが、賢明な吉野は、わざと「普く通用するところの主義」として、デモクラシーを「民本主義」という思想に変容したのでした。こうすれば、君主制下で、普通選挙を拡大し、政党活動を活発にすることができると同時に、彼自身も東大教授の地位を追われることはないと読んでいたのでした。

「民主主義」という用語は、吉野以前から登場していましたが、吉野はおそらくこれを過激すぎる表現と考えたのでしょう。「民主」に代えて、「民本」という柔らかい用語を用いたのです。

 

戦後は、「民主主義」という訳語が主流になりましたが、またもこの誤訳のために我々は今も呪縛され続けています。意思決定のための制度であれば、もっと良い制度に変えていっても差し支えないはずですが、「主義」と訳したために、永遠に変えてはならない、普遍的な金科玉条のものという風に誤解されてしまったのです。

デモクラシーというのは、本来「頭をたたき割る代わりに、頭の数を数える」という単純な手続きのことです。一票の差しかない場合でも、多数決で共同体の意思を決定するという制度です。円満採決しようが、強行採決しようが、不満を言わず結果に従うというのが、本来のデモクラシーのルールです。結論に不服な場合は、次の選挙で別の代議人を選びなおせばよいという極めて単純な手続きなのです。

 

にも拘わらず、与党が「強行採決」した場合、我が国の新聞は「十分審議を尽くしていない」から「民主主義に反する」と非難します。民主制のルールに即しているにも関わらず、民主主義に違反すると批判します。(米国の議会では、議長が動議を打ち切り強行採決してもデモクラシーに反すると批判しません。)

 

内実は寄合制

 

ということは、新聞の言う「民主主義」とは、米国流のデモクラシーと異なっていることを意味しているのではないでしょうか。そうなのです。戦後の「民主主義」と呼ばれるものは、デモクラシーの仮面をかぶっていますが、実は伝統的な寄合制の別名だったのです。

 

寄合制というのは、民俗学者の宮本常一などが発見した農村、漁村の意思決定手続きのことです。村の世話役が一堂に集まり、一人の異議も出なくなるまで何日も時間をかけて相談し、納得しあうやり方を指しています。討論の時間が終われば審議を打ち切り採決するのではなく、疲れてへとへとになっても衆議が一致するまで「ああでもない、こうでもない」と「話し合い」を続けるやり方です。

この伝統的な寄合制では、「強行採決」は嫌われるのです。独裁的なリーダーの出現も好まれません。

 

この寄合制は、近代に生まれたものではなく、なんと古事記の昔から続いているものです。

古事記によれば、天の岩戸に隠れた天照大神を引き出すために、神々は夜通し話し合い、踊るもの、笑うもの、岩戸を開けるもの、鏡を差し出すもの、引っ張り出すものなど役割分担をじっくり相談して決め、話し合いに疲れ切った明け方に、鶏の一番声とともに、やっと天照大神を引き出すことに成功します。神々は「討論(ディベイト)」を通じて採決するのではなく、膝を突き合わせた夜通しの「話し合い」を通じて集団の意思を決定したのです。アメリカ式の「討論」と日本流の「話し合い」は、全く違うことを忘れてはなりません。

 

「討論」の場合は、誰が何を主張したか、明確に記録し、次回に記録の確認を求める必要がありますが、「話し合い」は、時間をかけても満場一致を目指しますから、発言記録を残しておくことは求められていません。将来の対立の火種となりかねない発言記録は残さないのです。

 

ちなみに、現憲法において、国策は、合議体である内閣で決定するとされていますから、内閣という合議体において国策を議論するのが筋なのに、実際には閣僚間の討論も議事録もありません。ということは、それまでに閣議以外の舞台裏で「話し合い」と「根回し」が行われていることを意味しています。

現実には、党内の実力者間の話し合いや諸官庁の話し合いと根回しで意思決定が行われることが多いのですが、それは厳密にいえば憲法の想定していたデモクラシーの手順に違反しています。内閣以外の場で、往々にして料亭の1室において秘密の待合政治、寄合政治が行われているからです。

 

我が国策の意思決定は、米国流の表のデモクラシー制度ではなく、昔ながらの裏の寄合制で運用されているのです。同じ現象は、株式会社の役員会の運営や大学の理事会の運営についても観察されます。役員会や理事会が開催されたときは、すでに結論は出ており、その場で丁々発止と表立って、議題の賛否を議論し,討論し、裁決することは嫌われます。

 

それは、わが国固有の国体ーー個人主義ではなく共同体主義に基づく寄合性の伝統が、デモクラシーの外見にもかかわらず、執拗に継続しているということなのでしょう。表面上、外国の法思想を継受した場合は、このような現象がよく起こります。

全員協調の共同体を重視する日本のいわゆる「民主主義」は、個人主義に立脚する自己主張と主張対立の表面化を良しとするアメリカ流のデモクラシーと一見にていますが、まったく非なるものといわねばなりません。

 

それは、アメリカの「ベースボール」と日本の「野球」が同じルールを取り入れながら違う原理で運用されているのと同様です。アメリカでは、選手個人がそれぞれの守備や攻撃の立場で、監督の差配のもとにプレーするので失敗しても「連帯責任」を問われませんが、わが国では失敗した選手の連帯責任の重圧を軽くするために「ドンマイ、ドンマイ」と声をかけ、かばいあうのです。

個人の失敗は、個人が責任をとればそれでおしまいと考える社会と、個人が失敗したのには何か全体の気風(やる気、連帯感、調和精神など)が関連していると考える社会とは明らかに違うのです。

 

朝日新聞も「民主主義」

困ったことに、「民主主義」という間違った訳語は、民主主義の本家を自認する朝日新聞において今でもよく使われています。与党が動議を打ち切って「強行採決」するたびに「民主主義に反する」と朝日新聞は強く非難します。安保法制の審議を打ち切って採決すると、「民主主義にかえれ」と声高く強調します。

しかし、面白いことに、朝日新聞企画編集室の石井庸雄氏は、すでに平成五年七月三十日の同朝刊で、「究極の失敗用語は『民主主義』」であると述べています。引用してみましょう。

 

「民主主義をイズムと勘違いしている人が少なくない。『広辞苑』が第四版で、「主義」の説明に、資本主義と民主主義を並列させたのは、まぎらわしい改変だ。デモクラシーは民主制であってイズムではない。君主制、貴族制と並ぶ政体の一つである。それなのに、民主主義と訳されたのは、訳語の変遷が絡む。主義は、当初プリンシプル(原理原則)の訳語に用いられていた。ところが、主義はほどなく、イズムの訳語にも転用される。いまこちらが母屋になったために錯覚を招く。」

 

今日では、新聞記者ばかりでなく、肝心の大学の教授たちも平然と「民主主義」という用語をきちんと定義しないで使っています。アマゾンを検索すると「民主主義」を冠した学者の著書がずらっと並んでいるのに驚かされます。

こうして、「民主主義」という用語は、我が国において意味が変容し、それは海外にも伝搬し、ついに独裁制の北朝鮮においても「朝鮮民主主義人民共和国」と自称する程になっています。どうやら、民主主義は1党独裁政体とも両立する概念のようですね。なるほど、この独裁政治の国では、少数者の意見が完全に反映されているようで、いつも「満場一致」で決議されています。

 

こうなってしまうと、民主主義という用語は、ほとんど意味をなさなくなります。良いイメージを振りまくための中身のない化粧用語におちてしまっているのです。

これから、民主主義という定義の不明な、あいまいな用語を、新聞雑誌から追放し、民主制ないし民主政体という言葉に切り替えることから始めようではありませんか。そうしないと、いつまでたっても我が国の民主政体を改善する建設的な提案が生まれず、一向に良くならないと思います。それがいやなら、「民主主義」が意味するところの伝統的な寄合制を意思決定の基本に置いたあたらしい法体系と統治システムを考案してはどうでしょうか。(宮崎貞行)