国会と政党の改革待ったなし

 

国会議員が評論家になった!

 

最近はテレビで国会審議の模様が放映され、国会でどんな問答が繰り返されているのか、国民によくわかるようになりました。視聴者は、質問が論理的で的確であるかどうか、回答はあいまいで言い逃れをしているのかなどを判定することができ、議員の表現能力を知ることができるようになりましたね。

それはテレビ放映の効用ですが、しかし、その反面、議員たちはテレビ映りを狙って図版を高く掲げて質問し、あるいは大臣、副大臣などの高官をずらりと前に並べさせて追及する演出も増えてきました。

ところが、視聴している国民は、派手な追及の割には、なにか物足りないように思うのです。質疑は盛んでも、答弁は、揚げ足を取られないよう用意された答弁書を読み上げるだけなので面白くないのです。そして、議論ばかりで、国民の生活の足元はちっとも改善してないように感じているのです。

英国の本会議の模様を見ますと、党首が基本政策を巡って丁々発止の受け答えをし、野次の花を咲かせて楽しませてくれます。そして、テレビの入らない委員会を見ますと、法案の一条ずつ丁寧に審議しています。法案の目的で足りないものはないか、この用語の定義はおかしいのではないかなど、法案の逐条審議に時間をかけています。与野党が妥協できる文章を求めて知恵を絞っているわけです。

そうなのです。日本の国会では、英国のような法案の実質的な審議が欠けているのです。法案はあらかじめ合意されたものだけが委員会にかけられるため、形式的なシャンシャン審議ですぐ終了します。予算委員会でも、国債償還費や特別会計など個別の予算案について誰も質問せず、予算と関係のない政党のスキャンダルや揚げ足取りの質問をテレビ劇場に放映させて、得々としていますね。

与党の有能な議員も、立法にあまり関心がないとみえ、ユーチューブやチャットを使った評論活動に熱を入れています。国会議員が評論家のお株を奪っているのです。それはそれで結構なことですが、国会内の仕事ではありませんね。国会は立法府ですから、必要な法律をどしどし制定するのが、国会議員の本来の任務ではないでしょうか。国会では、もっと具体的な法律の制定や改正を求める議論を展開してもらいたいと国民は願っているのです。

わが国は、欧米諸国にくらべて、圧倒的に法律が足りません。特に防衛力の強化や国土の保全、所得と雇用の向上に関する法律が少なく、できたとしてもあまりにも遅いのです。議員諸氏も金集めと票集めと院内外の会合に忙しく、法律を立案する時間も能力も十分ではありません。日本社会のシステムが高度化し複雑になっているのに、それに見合った法律が足りない、遅い、そして作れない――この三つの悪弊には根深い要因があります。

 

 

手足を縛られた議員立法

 

法案には、内閣の提案する政府法案(閣法)と議員の提出する議員法案と二種類あります。政府法案は、関係省庁の総力を挙げて原案が作られ、内閣法制局の厳密な審査をパスすると、与党の政務調査会、総務会と幹事長の同意を得たのち内閣が国会に提案します。

他方、国会議員が法案を提出するためには衆議院で二十人以上、参議院で十人以上の賛成者が必要です。ところが、議員法案は、衆参法制局の審査を終え、党の機関決定を経ても直ちに国会に提出することが困難なのです。与野党の合意した法案でないと審議が後回しにされる慣行となっているからです。

また、予算を伴う法案は衆議院で五十人以上、参議院で二十人以上の賛同者が必要という縛りがかかっています。その結果、議員立法は当り障りのない、無色透明な、あまり効果の期待できない総花的なものになってしまうわけです。これでは、法律の得意な議員でもやる気をなくしてしまいますね。

ですから、毎年国会を通過する議員法案は数少ないのです。例えば、令和二年から五年までに成立した議員立法は、年間平均二十本にすぎません(政府立法は平均六十五本)。その議員立法もほとんどが、関係省庁が原案を作り、それを国会議員の名前を借りて提出したものです。純粋に議員が立案し、提案したものは、皆無に等しいのです。それほど、法案の作成は専門的な知識を要し、職人技と言ってよいほど難しいのです。

では、以上のような厳しい制約条件がかかっている中で、どのように現状を改革していったらよいでしょうか。まずは、政党のできそうな範囲で可能と思われるところから着手してみませんか。

党本部に立法局がないとは

永田町に立派な自民党の党本部があり、多数の陳情者が毎日押し掛けています。中を覗いてみると、人事局、経理局、報道局、国際局、情報調査局などの表札が並んでいます。「待てよ、立法局はどこにあるのか」と探してみても、見当たりません。

莫大な政治資金を管理する経理局があるのに、政党の要であるはずの立法局がないのです。ですから、自民党に国民がこんな法律を作ってほしい、この条文を改正してもらいたいと陳情しようにも、専門的な受け皿がないのです。個々の議員に申し入れても、非常に忙しいので、聞き置くだけに終わってしまいます。

こうなると、国民は、失望し、絶望し、ついには自民党を見放してしまいます。やっとできたころには、中国や巨大金融資本などに利益の大半を持っていかれ、後の祭りということになります。後の節で述べるように、経済安全保障の分野では、貴重な先端技術が流出し、重要な日本企業が買収され、手遅れどころか、悲惨な被害を被っていますね。国会審議の遅れを見抜いて、自衛隊基地や水源地の周辺の土地は、中国系企業が買い占めを着々と進めているのです。

立法局を持たないのは、野党も同じです。野党の本部も自民党のコピーをしているにすぎないからです。この際、与野党は早急に立法局を設置して、法案の原案を作成できる学識経験者を雇用すべきではないでしょうか。

手っ取り早いのは、内閣法制局や衆参法制局のOBを二、三十人そろえることでしょう。産業、農林、厚生、環境、地方行政、外交など各分野の法律専門家を集めればよいのです。そして、絶えず個々の議員の要望を聞いて、新規法案や改正案を練り、いろんな代案を用意しておき、幹事長や政調会長などから問い合わせがあれば、いつでも説明できるように準備しておくことです。懸案となっているスパイ対策や外国人の土地買収などの法案もあらかじめいくつか用意しておくべきでしょう。また、この立法局で、法案の作り方や制定過程について新人議員の立法教育も行えば、議員の立法能力も高まるはずですね。

「党の予算がないからそれは無理だ」という言い訳はできません。なぜなら、各政党(会派)には立法事務費なるものが税金から配分されているからです。昨年は自民党に二十億円、立憲民主党には七億円、日本維新の会には三億円が交付されています。ところが、その支出の明細を公表する義務がないため、立法事務費はほとんど立法調査以外に流用されており、過去には民主党の使途不明スキャンダルに発展したこともありました。立法事務費についても、後述するように使途の透明化が求められています。

 

全員一致は無責任

 

もう一つ、議員法案の提出を阻んでいる関門があります。

自民党は、議員法案について、党部会の事前審査についで、政務調査会(政調審議会)および総務会の全員の同意とさらに幹事長と国対委員長の同意が必要としています。これが著しく議員立法の意欲を阻害しているのです。丁寧に一連の手続きを踏んでいると、まもなく総選挙が迫ってくるからです。

政務調査会などの全会一致を求めるのは、議論のしこりを残さないためと言われていますが、自己主張の強い議員たちの全員一致を求めるのはとても不可能な話で、無責任と言わざるを得ません。これでは、国会論議の活性化を望むべくもありません。与野党とも、党の規則や慣行を改訂し、関係機関の事前審査は多数決で決定するようにすべきでしょう。

そして、党内の事前審査においては、各議員の自由な討論を認め、衆参委員会の採決の段階で党議拘束をかけるようにすべきと思います。(英国議会はこの立場です)。また、政党本部による一方的な党議拘束は衆参両院に及んでいますから、参議院は独自性を発揮することもできない状況となっています。

国会決議も、全会派の一致がないと成立が極めて困難という不思議な慣行がまかり通っているので、明確な意思表示ができないでいます。海外では、例えばフランスの下院は、対中非難決議を賛成一六六票、反対一票、棄権五票の圧倒的多数で可決したことがありますが、わが国は、公明党や野党の意向をくむあまり、政治的に意味のないあいまいな決議でごまかそうとしてきました。民主制の原則である過半数(あるいは三分の二)の多数決にもどらなければ、世界から侮られることになるでしょう。

議員法案や国会決議案は、与野党の合意がないと成立が極めて困難ですが、これだと国会は空洞化し、多数の民意を反映できない哀れな国会になりかねませんね。国会の院内規則で、多数決によることを明記すべきでしょう。中共のウィグル弾圧や臓器売買、尖閣領域への侵入を見るにつけても、国会の不作為が中共の横暴を助長しているのではないかと心配になってきます。

 

立法の補佐機構はバラバラ

 

戦後は、アメリカ並みに議員立法を増やそうとして、補佐機関が五つ設置されました。国会図書館には、調査及び立法考査局が設けられ、衆議院には調査局が、参議院には常任委員会調査室が新設され、それに衆参両院に法制局が加わりました。残念なことに、これらの組織の横のつながりは弱く、総合力を発揮できないでいます。

そこで、平成十四年に自由党が「国民主導の国政の実現に関する基本法案」を提出しました。この中で、前記の五つの補佐機関を一つに統合し、「国会立法考査院」とすることを提案しています。これができれば、政党の立法局と相まって、飛躍的に国会の立法能力が高まることになりますが、提案から二十二年たっているのに少しも進んでいませんね。

また、同法案で、行政機関の職員が国会議員と面会したり、政党の会議に出席したりしてはならないことが規定されていました。これが実現しておれば、財務省などによる事前の洗脳工作が不可能になり、政治家は自らの頭脳で思考しなければならないことになります。

そして必要な情報は、国会議員が国務大臣などにあらかじめ書面をもって照会するよう制限していたのです。こうしますと、官僚が個々の議員への説明に突然呼び出されることもなくなり、夜中に明日の国会答弁を作文する負担も軽減します。近年は、官僚の激務が敬遠され、優秀な志願者が減ってきていますから、通過してほしい同法案でしたが、審議未了、廃案となってしまいました。

政府の方は、平成十一年に国会審議活性化法を制定し、政府委員を廃止し、副大臣を置くなどの改革を行いましたが、官僚の超過負担は減らず、肝心の国会運営の効率化も進展していません。一日国会を開くと、二億円の経費が掛かるのです。

 令和の現在、国際的な通信連絡は激増し、民間はデジタル化を進めるなどそれなりに対応しているのに、国会と政党の意思決定が主に挙手と電話と密談で決まる時代遅れも甚だしく、非効率な情報交換のままですね。日本の経済社会の急速な発展を阻害しているのは、変化に対応できない旧態依然たる国会と政党の仕組みだと言わざるを得ない状況です。

 

    野党の抵抗手段は?

 

自民党と社会党が対峙していた五十五年体制のもとでは、野党は対決法案の廃案を目指して審議拒否や審議日程の引き延ばしを図っていました。会期不継続の原則(国会法第六十八条)を利用して、期限切れで廃案となるのを待っていたのです。国会議員の任務であるはずの議論を放棄する戦術が取られていたのです。

対する自民党は、寝た子を起こそうと裏金を渡す、いわゆる「国体政治」をおこなっていました。裏金が欲しいため、野党がわざと寝たふりをする場面もありました。国民の見えないところで、こうした隠微な駆け引きが行われていたのです。

 近年は、自民党の法案に協力する野党が増えてきたため、国対政治はやや影を潜めましたが、憲法改正については審議入りを拒否する政党がまだ残っています。審議日程の決定権は政党が持っていて、法案や憲法改正案を提出した政府が、審議のスケジュールについて発言権を持っていないのは不可解なことです。安全保障関連法や条約関連法など期限の迫っている法案と憲法改正案については、政府が審議日程に介入できるよう制度を改めるべきでしょう。野党は審議に入ったうえで採決のとき拒否の意思表示をすればいいのです。

また、いったん閉会すると、会期不継続の原則により、審議未了の議案は廃案となりますが、近年は、諸外国の多くの議会がこれを見直し、議員の任期中は議案が継続するものと改訂しています。経費節約の観点からも、会期をまたいで継続するよう国会法を改正しなければなりません。

閉会中であっても、大災害や外国の侵略が起きた場合は、緊急に臨時国会を電子的方法により開催できるよう、国会法を改正することも求められています。東南海地震などで首都が壊滅し、首相や議長が死亡するなど永田町も機能不全に陥った場合、どこでどのような手法で国会を開催すべきか、早急に国会法と規則を見直す必要もあります。危機管理の視点が、いまの国会法にはすっぽりと抜けているのです。国会も平和ボケしていると言わざるをえませんね。

 

政党は私党なのか

 

驚いたことに、民主政治の我が国において、党首が秘密会合で決められ、二十年以上も同じ党首が在任している政党が存在しています。かと思うと、安全保障に関する綱領を持たない政党、そもそも綱領の明確でない政党もあります。連立政権を組んだ場合も、防衛と外交に関する綱領のすり合わせを綿密に行なっていないと、権力維持のための野合となり、その結果、連立政権内部での摩擦がしばしば起こることになります。

そもそも、我が国の政党は、その成立要件がきちんと定められていないので、政治団体が勝手に政党の名乗りを挙げれば、それで成立する私党となっています。政治資金規正法の交付金を受けうる政党の要件が若干定められているにすぎません。

しかし、国会に議席を持つ政党にはすでに膨大な交付金が配分され、議員には歳費が支払われているので、公党というべきで、したがって公的な監視が求められるのは当然でしょう。政党交付金は、使途の制限がないので、料亭での飲食や海外観光旅行にも使われていたことが発覚しています。政策を推進するという目的に立ち帰り、政党交付金の半分以上は一定の要件を満たす確立された政策研究所又は立法研究所(例えば、三菱総研、野村総研など)への支出に充てるべきとの条項を追加すべきと思います。(韓国に類似の使途制限があります)

また、「政党法を作れ」という提言が、経済同友会や令和国民会議から出されていますが、政党自身の自己改革能力が欠けている現状をみると、やはりドイツなどに倣った政党法が必要なのではないでしょうか。ドイツの政党法では、会計報告の公開、候補者選定手順の整備、ナチス党など違憲政党の禁止などが盛り込まれています。民主政治を否定する恐れのある政党は、禁止すべきであることは言うまでもありません。

わが国の政党法を作るとすれば、党首の選任は少なくとも党員の公選を経ること、外交や安全保障政策について明確な綱領を公表していること、党員と幹部の行動規範と違反の処罰を定めていること、党と派閥の収支報告を行い、公認会計士の審査を受けることなどを規定するのが望ましいと思います。暴力的、威圧的な審議妨害を行った政党の処罰も必要でしょう。

「泥棒が三人集まると派閥ができる」と言われているように、派閥を完全に解消することは出来ませんから、むしろ派閥の存在を認めたうえでパーティー券などの経理を公開させる方が賢明と思います。一時的に派閥を解消したとしても、やがて復活することは火を見るより明らかです。各派閥が独自の政策を提言して争うようになれば、政治が面白くなり、国民の政治に対する関心も高まるはずですね。現在の派閥が、人事と資金の配分しか行っていないのが問題なのです。

また、世襲議員は親の選挙区から立候補させないこと、そして親の政治団体の管理する資金の子息への継承は認めず、国庫に返納させることにより世襲制を制限すること、外国人のパーティー券購入の禁止を盛り込むことも不可欠と思います。世襲制や外国人の寄付は、開かれた民主政治の基礎を崩し、政党自身の活力をむしばみ、政策をゆがめていくからです。

政策審議など党の政策決定過程に、利益の相反する経営者や外国の代理人を入れないといった配慮も求められています。政党法において、政党の運営方法についても、株式会社を真似たガバナンス・ルールを定めておく必要があります。

例えば、日本に居住する中国人は、本国の法律により情報収集や戦闘協力の義務が課されていますので、中国人やその代理人を政策決定の場に入れてはならず、党職員に採用してもいけないのは、いうまでもありません。党職員についても、セキュリティ・クリアランス(適格性審査)の仕組みを準用すべきでしょう。

 

諸提案はあれど――

 

自民党は、三十五年前(一九八九)に、政治改革大綱をまとめたことがあります。当時は、大規模な汚職が摘発されるなど腐敗した政治に対する国民の不信が沸騰した時期でしたから、五項目の対策が提案されました。

   政治家の倫理性を向上させる 

   多額の政治資金の使途を透明にする

   不合理な議員定数および選挙制度を変革する 

   国会審議を効率的にし、国民に分かりやすく届ける

   派閥偏重、党議拘束など硬直した党運営を改める

 

だが、このうち変革されたのは、選挙制度だけでした。当時の中選挙区制は、政党の政策本位でなく個人後援会や組合中心の選挙となりがちでした。したがって政治家個人が金集めに奔走する欠陥があるとして、一九九四年には、公職選挙法が改正され、小選挙区制が導入されたのです。でも、これによって、公認権を握っている政党の党首や幹事長にますます権力が集中することになりましたから、やはり政党法による権力行使の監視と抑制が必要となってきています。

 

三十五年経った今日、また再び政治不信の荒波が渦巻いています。ご承知のように、政治資金が政治家の懐に還流している、政治資金が親から子へと受け継がれ世襲政治を助長する仕組みになっている、外国人がパーティー券を大量に買っている、外国のハニートラップに引っ掛かった政治家があまりに多い、諸外国に比べて議員の定数も歳費も多すぎる、国会や政党の運営は非常に非効率で、変化の激しい国際社会に対応できていない――といった問題点が噴出してきましたね。現政権は、政治不信の解消に知恵を絞っているようですが、後手後手に回っており、国民のいら立ちは隠せません。

 

政府や政党から立派な提言は多いのですが、ほとんど進展していないのはなぜでしょうか。それは、提言のあと進展状況を監視し、国会と国民に毎年報告する仕組みを整えていないからです。提言をすませたら、それで政治的に荒波をしのぐことができたと安心し、あとは国民の健忘症に期待しているのではないでしょうか。「喉元すぎれば、熱さを忘れるさ」と。

事後の監視と評価という点では、マスメディアにも重大な責任があります。報道界は日々のニュースを追いかけるのに熱心ですが、その後どうなったか追跡取材しようとしないのです。提言の発表が終わってしまえば、もう「ニュース」の名に値しないと考えているようですが、このような新聞、テレビの健忘症が政党の質の向上を妨げている要因の一つではないでしょうか。

 それともう一つ、政治部の記者たちが政局にのみ目を奪われ、法案に全く無関心なことも問題です。新聞やテレビに法案コーナーを設けて、各党がどのような法案を提出しているかを紹介すべきではないでしょうか。それによって、国民は次第に教育されていくのです。衆議院、参議院(事務部局)が、広告費を提供して各党の提出した法案を紹介していくことを検討してもらいたいものです。

なお、政治学を専門とする学者においても、議員の政策立法能力を評価する仕組みを考案してほしいと思います。各議員の発言を集め、法改正や新規立法に関する発言がどの程度含まれているか分析し、大きい政府派、小さい政府派、緊縮財政派、積極財政派、保守派、リベラル派などの座標軸で議員を評価し、それを点数やグラフにして視覚化するのです。それを政党ごとにまとめれば、政党の政策と立法能力を比較するうえで役に立つと思われます。

 

まずは、政治資金の透明化から

令和五年末にパーティー収入の還流事件が表面化したため、政治資金規正法の抜け穴が多いことに国民が気がつき、激しい批判が沸き起こりました。これを受けて、遅まきながら衆議院は政治改革特別委員会を設置し、各党がその改革案を表明し、論議が進んでいます。

 

事件が表面化したあと、素早く政治資金規正法の改正に着手すべきでしたが、六か月後にやっと同規正法の改正が軌道に乗ったようです。野党も脛に傷がありますから、放置しておくわけにはまいりません。これは与野党の対決法案ではなくなったので、比較的スムーズに何らかの形で成立するものとみられます。経済同友会や日本生産性本部など民間からも、いろいろな改革案が提起されてきていますが、論点は、今のところ次のように集約されています。

 

   政治資金の現金授受を禁止する。

政治家や政党、資金管理団体などは、それぞれ指定した特定の金融機関の口座を通じて資金の授受をおこなうこと。その違反には罰則を科す。

   政治資金受け入れ可能な政党支部を制限する。

政治資金を受け入れることのできる地域支部を都道府県ごとに一つの支部に限定し、政治家ごとに名寄せする。

   政党から政治家個人に支出される政治資金の報告義務を課す
 組織活動費などの名目で政党から政治家個人に対し支出されている政治資  金は、すべて資金管理団体を経由することを義務づけ、その使途についても政治資金収支報告への記載を義務づける。また、政治資金の世襲移転を認めないこととする。

   公認会計士による外部監査を義務付ける
 資金管理団体分を含め政治家個人の政治資金の収支については、公認会計  士などによる外部監査を義務づける。

   政治資金の収支報告書を標準化し、ウェブ公開を義務付ける。
 中央分と地方分とに分かれて報告されている政党、政党支部、政治家の資 金管理団体などの政治資金収支報告を標準化したアプリで整理し、電子公開する。

   寄付とパーティー券購入の公開基準を五万円超に統一する。

   会計責任者が違反を犯した場合、代表者も連座する。

   政策活動費、調査研究費等の使途を公開する。

 

これだけ多くの抜け道がありながら長年放置されてきたことが、今に至ってやっと国民に明らかになったわけです。与野党とも、政治資金の自由な使用を制約されるのを嫌って放置していたので、野党も責任を逃れることはできません。

 

しかし、どの政党も政治資金の使い方が隅々まで明らかになるのを嫌がっているとみえ、六月の衆参両院で可決された改正案は、政治資金パーティー券購入の公開基準額を「十万円超」から「五万円超」に引き下げ、政策活動費の使途について一部透明化することにとどまりました。右に掲げた項目のほとんどは無視されています。

やはり、政治家に政治資金の使途の透明化を任せるのは、限界があるということを物語っていますね。例えば、平成六年の政治資金規正法の附則第十条では、企業、組合等の寄付について見直しをおこなうとしていながら、無視されてきています。

第十条 この法律の施行後五年を経過した場合においては、政治資金の個人による拠出の状況を踏まえ、政党財政の状況等を勘案し、会社、労働組合その他の団体の政党及び政治資金団体に対してする寄附のあり方について見直しを行うものとする。

 

政治資金規正法がザル法にならないように、今後も、抜け穴については、継続的に国民とマスメディアがしっかり監視していく必要があります。国政刷新臨時調査会を設けて、議論を続けてもらいたいものです。

 

 国政刷新臨調を設けよ!

 

  政治資金規正法の抜本改正以外にも、検討すべき課題が多々残っています。

例えば、衆議院のコピーと化している参議院が独自性を発揮できるように制度改革を行う必要があります。これは憲法改正とも絡みますが、参議院議員の多くは、医師会などの業界団体や労働組合、宗教団体の指定席となっており、団体を持たない消費者や子供、飲食店、家内商店などの利益が反映されていないなどの欠点があります。

党本部の党議拘束が参議院にも及んでいるので、自由活発な議論が許されないのも問題です。このため、国民の関心が低くなり、通常選挙の投票率が低迷しています。(戦前は貴族院があり、有識者や官僚出身者などが任命され、大所高所から国政に助言していました)。

また、最近有名になった政治倫理審査会も形ばかりで、空洞化しています。証人喚問権を与え、審査の結果、著しい違反が認められる場合には懲罰委員会に処分勧告するなどの権限を付与すべきでしょう。岸田政権は、政治倫理審査会を開催して、厳しい姿勢をアピールしようと試みたのでしょうが、証言をごまかせる抜け道のあることが判明し、国民がますます不信を強め、かえってやぶ蛇となったようです。

 政党法を制定して、政党の資金収支を公開すること、政治家の行動規範を定め違反者を厳しく処罰するなどガバナンスを強化することも喫緊の課題です。前述したように会期不継続の原則の廃止など国会法の見直しも急がれています。議員の定数と歳費の削減も手付かずのままです。人口比での議員定数や歳費が、欧米の倍以上にとどまっているのは、重大な問題です。

以上の中長期の課題を解決するため、政治資金規正法の改正が終われば、国会と政党運営の抜本改革をめざす「国政刷新臨時調査会」を政府が内閣官房に設置することを最後に提唱したいと思います。超党派の議員、学識経験者、知事、市長、経営者、政府職員などを集結し、課題ごとに分科会を設置して改革の提言を求めるのです。

そして、提言したあとは、五年以内に実施することを明記して、その実施状況を毎年審査し、遅れておれば急ぐよう勧告する権限を与え、さらにその審査状況を毎年国会に報告することを義務付けるのです。従来のように提言だけで終わらせてはならず、進捗状況の事後評価を行うことを忘れてはなりません。行政の怠慢を発見した場合は、国会は積極的に国政調査権(憲法六十二条)を用いて、証人の証言や記録の提出を求めるべきです。

健忘症の国民も追跡調査をしないマスメディアも、粘り強く監視を続けることが大事ですね。私どもの生活は、毎日が闘争の連続です。変化を恐れる抵抗勢力と戦う「常在戦場」の覚悟をもって真剣にそして楽しく取り組んでいきましょう。

振り返ってみますと、昭和元年から約百年、明治元年から百六十年が経とうとしています。この間我が国は、欧米に倣って国会制度を整備し一流国になろうと努めてきました。明治七年以降、板垣退助らの自由民権運動が活発になり、これを受けて明治十四年に国会が開設されます。大正七年には原敬の政党内閣がやっと成立し、普通選挙運動が盛り上がりをみせます。

戦後は、新憲法のもとで選挙制度や国会運営が改善されましたが、まだ政策や法律の提案は官僚主導であり、議員主導と言うところまでは及ばない状態です。国会が本来期待されている役割を果たすには、もっと自己改革を進め、実力を涵養しなければなりません。

 

そのためには、国民とマスメディアも、国会に関心を持ち、監視を続けていかねばならないのです。個々の議員の能力を過去の国会質問などから点数評価し、選挙時にこれを公表するといったシステムも整備していきたいものですね。