和の国体物語とは何か

 

 

身体感覚としてのヤマト心(中略)

 

 

 

イノチ共同体の発展と深化を志向する態度を、「和(なごみ)」の精神と呼ぶならば、この「和(なごみ)」の国体神話は、今に始まったことではなく、すでに古事記において天照大神の三種の神器に表象されていました。

 

鏡は敬神崇祖と自己反省を表し、玉は慈愛と寛容の心を示し、剣は正義と秩序の実現を意味していました。それは、のちに神武天皇の橿原奠都(てんと)の詔に受け継がれ、聖徳太子の十七条憲法に発展し、二宮尊徳の報徳思想に高められていき、さらに明治天皇の和歌の数々に結晶することになります。

 

ただし、この島国に住むヤマト人は、抽象的、観念的な論理表現には満足せず、大和言葉をもって和歌を詠み、その響きを通じて体感、実感することを追い求めてきたという特徴があります。欧米人のように論理体系の一貫性に感動することはまれで、むしろ和歌の響きによって身体の「腑に落ちる」ことを好んできたのです。例えば、次のような古歌があります。

 

 

 

分け登る ふもとの道は異なれど 同じ高嶺(たかね)の 月をみるかな

 

 

 

山に登る道は、科学信仰、教会信仰などたくさんあり、なかには頂上につく前に途絶えてしまう道もありますが、人々は山頂よりはるかに高い中天にともる月(生命原理あるいは宇宙意識)を目指して山道を登っているのです。頂上についたからといって、月までの遠大な距離を考えると威張れるわけではありません。

 

このように人間による認識の限界と相対性を自覚するよう呼びかけることが、諸宗教と諸国家のはげしい対立を緩和する第一歩となります。「歴史」の認識や「神」の認識を独占しようとする人々を説得することが、これからのわが国の重要な任務となっています。

 

 

 

草も木も 人はさらなり 真砂(まさご)まで 神の社(やしろ)と 知る人ぞ神

 

 

 

この歌は、伯家神道最後の学頭補佐であった高浜清七郎の詠んだものですが、草も木も真砂に至るまで、すべてカミの分霊、カミの宿るミタマ(響きあう意識体)であって、それらをかけがえのないミタマと認めて尊重し、活かしあうことが人の本来の役目であると詠っています。

 

人間も自然も地球も、神(カムイ)の発現であるミタマとして、ひとし並みに尊重され、敬愛されることによって救われ、その輝きを増していくという太古からの思想を普及させていくべきではないでしょうか。そのためには、日本語のカミをきちんと説明し、普及させていく必要があるでしょう。人間はゴッドによって創られ、自然を征服することが許されたという聖書の人間中心の秩序神話は、もう限界にきています。

 

 

 

あめつちを 照らす日月の かげみれば 心のくまも すがすがしけり

 

 

 

これは、幕末の国学者鈴木重胤(しげたね)の歌ですが、日月の涼やかな光がもたらす「すがすがしさ」を味わうことをヤマト人は大切にしてきました。「浄、明、正、直」といった清明心の抽象的な分析よりも、すがすがしい身体感覚をもっとも大事にしてきたのです。

 

日月の光のすがすがしさを感じ取り、草木や真砂の気も感じ取ることのできる鋭敏な身体感覚を養うことの重要性をもっと海外に伝えていきたいものです。合気道や新体道などは、この面で大きい貢献を果たしています。

 

 

 

何ごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる

 

 

 

西行は伊勢神宮に参拝したおりこの歌をささげましたが、取るに足りない世捨て人のわが身に対しても天地(あめつち)のご配慮が及んでいることに気づき、身震いするほどの感動を受けたのでした。「かたじけなさ」は、「すがすがしさ」と並んで、ヤマト心の二本柱となっています。感謝と清浄の響きは、ヤマト人の行動を促す基盤となっている重要な身体感覚なのです。

 

ヤマト心には、もうひとつ「雄々しさ」の要素のあることも忘れてはなりません。感受性豊かなヤマト心を滅ぼそうとする勢力に立ち向かうには、次の明治天皇の歌にあるように、武者震いするほどの「雄々しさ」も欠かすわけにはいかないのです。

 

 

 

しきしまの 大和心の 雄々しさは ことある時ぞ あらはれにける

 

 

 

そして響きの海へ

 

 

 

『月の裏側』という著書のなかで、「日本文化は調べ(tone)の文化である」といみじくも指摘したのは、フランスの文化人類学者のレヴィ=ストロースでした。

 

かれは、数回来日して神武天皇の古里などを隅々まで歩き、そこで実際に、ある神霊の声を聴き、日本には西洋人の見えない世界が生きていることを発見しました。「知性の世界」にいる西洋からは見えない「調べの世界」が日本に息づいていることを発見して、ストロースは非常に驚いたのでした。「月の裏側」は、地球からは見えないけれども、表と対をなすものとしてやはり実在していたのです。

 

 欧米を論理の文化、神学の文化とすれば、わが国はそれと対照的な調べの文化、響きの文化といってよいでしょう。私どもは、自由主義やバルト神学といった一貫性のある体系的な論理や神学によって説得されることよりも、天地(あめつち)に生り成りて鳴る「響き」の心地よさを味わって物事の良しあしを判断することを好んでいます。体感して「腑に落ちる」身体感覚を重視しているのです。

 

わが国は、和歌、俳句、謡曲、詩吟、カラオケといった多様な響きを発展させてきましたし、浮世絵や漫画、絵文字、アニメも調べの文化の延長上にあります。それは、日本語の倍音豊かな母音の響きがもたらす右脳と左脳の精妙なバランスによって磨き上げられてきたものと多くの脳生理学者は指摘しています。

 

 

 

 この響き(resonance)の文化を、ひとつの思想に体系化したのは、ほかならぬ真言密教の空海でした。空海は、宇宙を構成する地、水、火、風、空の五大要素は、すべて響きを発している、「五大みな響きあり」と説きました(『声字実相義』)。

 

これは驚くべき発見です。思弁の得意なインド人のシャカが、「因果の無限連鎖」ととらえた実相を、日本人の空海は、身体感覚で感じとる「響きの無限連鎖」におきかえたのです。マントラと想念の響きを伝えることを通じて、身体と宇宙の因果を調えようとしたのです。真言密教は、池に波紋が広がるように宇宙の海に調和のとれた響きの波紋を伝えようとする、まさに「響きの宗教」といってよいものです。

 

 

 

最近の素粒子物理学では、物質は五次元ないし十一次元の膜に存在の根を持つ極微なヒモの振動体であるというヒモ理論が登場してきています。電子、原子も分子、細胞もすべてヒモの波動体であるというのです。とするなら、「五大みな響きあり」という空海の説は、そろそろ「五大みな響きなり」と修正してよいのではないでしょうか。天地を構成する地、水、火、風、空は、響きの事(こと)タマとして生り、成り、鳴っているのですから。

 

 いうまでもなく、事タマや言タマだけでなく、形も数も想念も響きの波動体であり、意識体(タマ)であります。三角、四角、丸とそれらの組み合わせのカタチから発する響きはカタタマと呼ばれ、1から9までの数とその組み合わせが出す波動はカズタマと呼ばれています。愛や憎しみなどの想念は、瞬時に地球の裏まで飛んでいくオモイタマであることは、水の氷結結晶の国際実験からも裏付けられています。

 

 

 

 わが国の「和」の国体物語は、このようにコトタマとカタタマ、オモイタマなど多重のタマの響き合わせを通じて、近代論理とイデオロギーによって乱された世界の波動を調えていくことを目的としています。中東における諸宗教の対立と戦乱がもたらしている地球の波動の乱れ、中共の国内圧制と民族弾圧が招いている波動のゆがみを、ヤマト心は響きあう言葉と想念と祈りを持って調え、雄々しき行動でもって整えていくことを求められています。

 

 カオス理論によると、北京で羽ばたいた蝶の響きは、連鎖反応を起こしニューヨークで嵐をよぶことがあるといっていますが、これからの日本は、コトタマをはじめ、多重のよいタマを響かせ、地球と宇宙によい波動の波紋を伝えて因果の連鎖を調え、対立と紛争に明け暮れる世界を包みこんでいくことが使命となるでしょう。それを先導するのが、宮中賢所でささげられる、地球の祭祀王たるスメラミコトの祝詞の響きであってほしいと私は願っています。

 

 

 

     新世紀の国体物語とは

 

 

 

 以上、神話や国語、身体感覚、響きの波動などさまざまな角度から説明してきましたが、まとめますと、私の提唱する新しい国体物語は次のようなものになります。

 

 

 

  1.  わが国体は、異なりを認めながらイノチとして一つであること(oneness in diversity)を自覚する祭祀共同体である。それは、あらゆる信仰や教義をつつみこむ、人類の共通遺産として伝承され生きのこってきた太古からの祭祀共同体である(=まつりつぐ)。

  2. その最高の司祭は太古の道統を伝えるスメラミコトであり、共同体の成員は、スメラミコトを模範として、自他を活かし、祈りあい、感謝しあい、助けあい、譲りあう(=むつみ、なごむ)。

  3. スメラミコトはあらゆる既成の宗教的、政治的権力を超えた根源的イノチを表象する生きた中心人格であり、内外の対立を緩和し、融和させる中心としてはたらく(=やわす)。

  4. この祭祀共同体は、政体と宗教の一致(政教一致)をもとめず、したがって共同体員は、科学信仰、共産主義信仰も含め、信仰の自由を有する。ただし、破壊的、脅迫的手段で各自の信仰を他に強制してはならない(=さとす)。

  5. この共同体においては、人間による真理の認識と伝達には、限界があり、その意味で相対的であることを自覚し、いつも謙虚で、他に対し寛容であることが求められる(=ゆるす)。

  6. 一方的に自己主張して勝つことより、時間をかけても共通の目標と立ち位置を見つけ、ともに共感、共視し、共同で解決を図るという態度を保持する(=よりそう)。この共同体においては、民主制ではなく寄合制を採用し、「自由」の代わりにとらわれない「自在」を求め、「平等」にかえて「応分」を尊ぶ。

  7. 知性により整合性のある論理体系を築くことは重要であるが、それと同等に、天地自然に鳴りわたっている聞こえない響きを感じ取れる感性と霊性を磨くことを重視し、修練する(=ととのえる)。

  8. いまここにいながらにして過去と未来にも行き来しているというふくよかな「中今」(なかいま)の時空感覚をもち、いつもコトタマとオモイタマを調えながら並行宇宙(時空)に響かせる(=ひびきあわせる)

  9. ヤマト心の「すがすがしさ、かたじけなさ、雄々しさ」といった身体感覚を深めるとともに、その響きを歌、踊り、アニメ、合気道、剣道などを通じて世界に発信する(=つたえる)。

  10. 世界の紛争と対立を防止し、和解させ、飢餓と難民の救済のために役立つ奉仕活動をそれぞれの立場で見返りを求めずおこなう(=つくす)。日本だけの和の共同体にとどまらず、地球全体の和の祭祀共同体へと昇華させていかねばならない。

     

 

 

要するに、不和と対立をもたらしがちな身勝手な論理や教義やイデオロギー体系はひとまず棚上げにし、それらを超えた、生り成りて鳴る天地の「響き」という、見えない「月の裏側」の世界があることを伝え、感謝と清浄と互助の響き合わせの連鎖のなかに世界が一つになるよう導いていくこと――これが私の提唱している新しい国体物語なのです。この物語を私は人に押し付けるつもりはありませんが、趣旨に賛同してくださる人たちとは力を合わせて、この国体構想を実地に展開していきたいと願っています。