いざとなれば、憲法廃止という奥の手がある

 

自民党は、憲法改正を綱領に掲げているけれども、改正の熱意は感じられない。安倍内閣も、当初の意気込みはどこへやら、最近は四選へと延命に関心が移ってきたためか、憲法改正はお題目にとどまっているようである。

 

延命が主目的になると、公明党や野党の一部との野合、妥協が幅を利かせるので、中途半端な改正案しか提案できなくなる。こうして、種々の加憲案が登場したが、これらは百害あって一利なし、むしろ改正しないで、これまで政府がやってきたように解釈改憲で行くほうがはるかにましである。

 

ところが、トランプ政権の登場で、情勢が急変してきた。トランプが、日米安保条約は片務的なので、米国の国益にそぐわない、場合によっては廃止してもよいと示唆し始めたのである。

これは、願ってもない情勢の変化である。

 

というのは、現憲法(占領基本法)と日米安保条約は、江戸時代の割符(為替の手段)のようなもので、二つの組み合わせで初めて用をなすのである。どちらかが欠けると、他方は意味を失い、無効となる。

安保条約が廃止されると、日本防護の義務はなくなるので、日本を属国として管理しようとした現憲法(占領時の基本法)も、たちどころに無効となる。

喧嘩の詫び状として書かされた前文も、それを条文化した九条も意味を失う。

 

(ちなみに、憲法九条を守ってきたのは左翼であると、左翼は自負してきたが、実は米国、米軍が守ってきたのである。日本で憲法廃止を求めて武力クーデターが起きれば、すぐ鎮圧できるように全土に米軍基地を張り巡らせ、東京上空の管制権を握り、クーデターを阻止してきたわけである。)

 

さらに言えば、「自由と民主」という米国の国体神話を現憲法を通じて押し付けてきたのであるが、これもアメリカが日本防衛の義務から離れることによって、アメリカは関心を失いどうでもよいことになる。現にトランプ政権は、「自由と民主」の弊害を糾弾し始めている。(わが国は、その長い歴史において制度的な自由と平等を超えた高いもっと価値――礼節と調和を目指して歩んできたのである。個人の利益にこだわらない自在と寄合による話し合いを尊重してきた)

 

多くの識者が指摘したので、繰り返さないが、現憲法は、占領時における占領基本法であり、占領の終結とともに廃止、終了すべきものであった。ハーグ陸戦法規など、国際法に照らしても違法、不当な強制であった。

 

憲法草案を翻訳した白洲次郎も、(吉田首相の懐刀であったが、)当時の吉田内閣が憲法を廃止しなかったのは、最大の失策であると、批判したほどである。ところが、吉田は延命を図ったので、左翼勢力と妥協し、うやむやにしてしまった。この時、吉田が退場を覚悟で、憲法廃止を宣言しておれば、その後、苦しい憲法解釈をつづけなくても済んだのである。

 

では、憲法を廃止するには、どのような手続きを踏むのがよいのだろうか。現在の占領基本法は、改正の手続きを定めているが、廃止の手続きについては、占領が終われば終了するものと考え、特に定めていない。となると、明治憲法にかえり、その改正手続きを準用するしかないであろう。

 

占領基本法は、明治憲法の改正規定(議会の三分の二以上)にのっとり、改正したというフィクションを採用したが、実際は、明治憲法の廃止宣言であった。議会が三分の二以上で、宣言すれば、完全廃止できるという立場に立ったわけである。とするなら、本来的に無効である現憲法も、議会が三分の二以上の議決をすれば、廃止して差し支えないということになる。憲法(占領基本法)は、改正規定は設けているが、廃止規定はもうけていないのである。

 

そこで、奥の手がある。国の安全が危殆に瀕した場合、衆参両院が三分の二以上の決議で、憲法廃止を宣言し、内閣にも廃止宣言を求めるのである。内閣は、最高の意思決定機関である国会の意思を尊重せざるを得ないから、憲法廃止を内外に宣明する。最高裁判所は、内閣の決定は「統治行為」であるので、介入できず、違憲訴訟が起きても門前払いすることになる。(日米安保条約は違憲とする訴訟が提起されたことがあるが、最高裁は「統治行為」として受け付けなかった。)

 

イギリスは、憲法を持たない国で、常識(コモンセンス)に基づいて、法律を制定、改正し、運用してきた国である。我が国も、イギリスと同様、長い歴史を持つ国柄で、常識に基づいて国の運営をしてきた。聖徳太子の一七条5憲法と五か条の御誓文さえあれば、立派に国を運営していく英知を持った国であり、国民である。

あとは、法律の制定と改正で十分やっていけるのだ。我が国の伝統的な価値観(礼節を重んじ、祖霊を大切にし、共同体の和を優先させる)を国民が思い出し、それを体系的に言語化する能力をしっかり身につけるまでは、憲法はなくてもよいのである。(わが伝統は、眼に見える個人の自由よりも共同体や自然との調和を重んじ、キリスト教的民主制よりも祖霊尊重民主制に立脚している。それをはっきり言語化するまでにあと30年以上かかるであろう)

 

そうすると、残る問題は、国会が憲法廃止を宣言するタイミングだけということになる。これだけの重大な決議をするからには、国と国民の安全に係る重大な政治情勢の変化がなければならない。それは、国民がのど元に匕首を突き付けられ、切羽詰まり、「平和」に浸ってきたゆでガエルの迷妄から覚めた重大な危機時であろう。

 

その時の一つは、共産中国が尖閣諸島に上陸したときである。七〇年の歴史しかない共産中国が、平和勢力でないことが明らかとなり、憲法前文の前提が崩れたことが誰の目にもはっきりするからである。中国軍が台湾に侵攻したときも,わが国の石油輸送路の安全が危殆に瀕するので、同様に憲法廃止を宣言しなければならない。

 

もう一つは、北朝鮮が日本の領土、領海にミサイルをぶち込んできたときである。平和に安住してきたゆでガエルも、これで目を覚まさざるを得なくなる。井戸の中の蛙であったことに遅まきながら気が付くはずである。

 

そうして、もう一つの機会は、アメリカが日米安保条約の改定を求めて、条約廃棄を一年前に宣言したときである。この時、国民は、寒空に丸裸にされたことを知り、慌てふためくことだろう。この時、国会は堂々と憲法廃止を宣言し、自衛隊法の改正に向けて動けばよい。この動きを知れば、アメリカは、双務的な防衛条約を結ぼうと、新しい安保条約を提案してくるはずであるから、これに乗ればよいのである。

 

逆に、安倍内閣は、国家百年の大計を考えるなら、トランプ政権に今から根回しし、アメリカに条約廃棄を一年前に宣言させればよい。そうして、次に憲法廃止を宣言し、条約が廃棄される直前に日米の双務安保条約を締結すればよいわけである。

残念ながら、アメリカの軍事力と情報分析能力には当分かなわないから、50年後にアメリカが人種構成の変動により国内分裂し、国力が低下するまでは、同盟を結んでおくのが賢明である。まだまだ、我が国が自主独立路線を歩む力はない。アメリカは、軍事的危機を作り出し、産軍複合体の活用とドル覇権の維持によって、国家破産を免れようとする戦略であるから、当分は、これを利用するほかにわが国の選択肢はないだろう。

 

安倍内閣よ、もう政権の延命を図らず、捨て身の覚悟で、この機会を活用してもらいたい。死中に活を求めて国家百年の大計を講じていただきたい。

 

「時はいま 天が下しる 令和かな」